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執筆者の写真松田学

解散総選挙へ、松田学からのお知らせと現代の政治潮流~自民党の失敗と次の社会モデルを示す参政党の思想~

本日10月9日は衆議院解散の日、いよいよ政局は政権選択選挙である総選挙に向かいます。ここでまず、私からのお知らせがあります。


この度、私、松田学は、衆議院選挙の東京ブロックの比例代表における、参政党の公認候補予定者として過日、党より正式に発表されました。これまで活動しておりました南関東ブロックから東京に移り、今度は東京都内全域(23区及び都下の各地域)から参政党へのご支持を集めることになりました。


これを機に、私は新たな財政財源の仕組みによって経済を再生させ、日本の未来を拓く「松田プラン」を始め、自立自尊の日本再興に向けた諸施策を何としてでも実現したいという決意をあらたにいたしているところです。どうかこれまで以上のご支援とご協力を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。


なお、ここで選挙制度のご説明をしますと、衆院選における比例投票の制度は、参院選とは異なります。一昨年、私が参政党より立候補した参院全国比例の場合は、政党名と候補者個人名のいずれに投票しても有効でしたが、今般の衆院選の場合、比例代表は政党名で投票するものです。個人名での投票は無効となりますので、ご留意ください。以上です。


さて、今回の解散総選挙、石破政権には色々と誤算があったようです。石破氏が総裁選で述べていた憲政の筋論を総裁就任後は180度捻じ曲げ、国会で争点を明らかにするプロセスを飛ばしての早期の衆院解散となったのは、同氏の持論を封殺する自民党の論理、つまり、最も内閣支持率が高い政権発足当初のタイミングで総選挙で勝ちに行くとの思惑が優先したからですが、これが早速、裏目に出ているようです。


まず、肝心の内閣支持率ですが、岸田政権末期よりはずっと高い50%強程度とはなったものの、これは歴代内閣の発足時の支持率の中では最低ともいえる水準です。「党内野党」として筋を通してきたことが同氏の国民的人気の源泉でしたが、最初にこれを裏切った。言うこととやることが異なる。まさに「信なくば立たず」の持論の逆をやってしまったことが大きいでしょう。政策面でも総理就任以降は次々と持論を封印ないし転換しています。


その時々の状況に流されて、言ったことはやらず、言わなかったことをやる総理かもしれない。総選挙のあとには国民負担増が飛び出してくるかもしれない。何せ、「増税メガネ」と言われた岸田前総理を引き継ぐ総理だから…。きっと党内の重鎮や霞が関の言いなりだろう。そもそも石破氏自身が分かりやすい日本の希望を語っていないし、これまで言っていたことも日本版NATOとか、意味不明で現実性の薄いことが結構多い。迷走内閣か…。


総裁選で僅差で敗れた高市氏が幹事長以外は全て断ったのも、どうせ短命内閣だからとの周囲からの助言があったからだという話もありますが、本当に短命になるかもしれません。早速、裏金議員非公認、比例との重複立候補禁止が党内に大混乱をもたらしています。


近年の自民党政治は、安倍なるものと、それを潰す力学との相克で動いてきたともいえます。安倍氏以来の日本の国柄を大事にする自立自尊と積極財政の政治路線を潰す出来事が立て続けに続いてきました。一昨年の安倍氏暗殺、その後の統一教会問題、そして裏金問題は、結局、安倍派潰しでもあり、今回の総裁選では派閥力学の再来で、安倍氏を引き継ぐ高市氏潰しが徹底的に行われました。そして裏金議員非公認となると、これはもう、安倍派の追放と言ってもいい事態でしょう。そこには義理も恩義も何もない。


この騒動でも、なんと石破氏に入れた議員は公認OKなど、露骨な対保守派の政治抗争が垣間見えます。決して大きく勝てることが見込めず、減る議席をどこまで減らすかの党略の中で、世論におもねって疑惑議員を排除する。総選挙で成果が不十分なら高市氏に投票した議員たちが石破降ろしに動くから、彼らを落選へと追い込む魂胆も見え見え…。


石破内閣の支持率は、世論の影響を受けやすい東京など大都市では不支持率を下回っています。地方では、石破氏が冷や飯を食って時間的余裕があった時期に地方を丹念に回り、幹事長として党の政策活動費を、地方創生大臣として交付金をばらまいたためか、同氏への支持は都市部より高いですが、これこそ昭和の政治スタイルへの逆戻り…?


国民も党員も保守へと意識が変化している中で、これに逆行する石破氏は、岸田氏以上に支持率を上げる要素を欠く宰相といえるでしょう。選挙で公認されないというのは、その議員にとっては所属政党のアイデンティティを奪うことでもあります。もしかすると、総選挙後には自民党は分裂?それもこれも衆院解散を急いだ政略が裏目に出たといえます。


もし自民党が議席を維持したいなら、むしろ、もう少し時間をかけて政治とカネの問題にきちんとケリをつけられる制度構築などを行い、党内の半分近くを占める高市氏投票グループと折り合いをつけた上で、挙党体制のもとで解散総選挙の時期を探るべきだったのではないでしょうか。策士、策におぼれる。ここは石破氏の実直さこそを貫くべきでした。


いずれにしても、所信表明演説や代表質問をみても、あれだけ国民の注目を浴びた総裁選で石破氏が総理に選ばれた意味が感じられません。大量の「裏金議員」を非公認し、あるいは党として当選させたい候補者の名簿である比例名簿にも載せないということをしなければ選挙も出来ないのなら、自民党は終わっているということにならないでしょうか。


今般の総選挙は、戦後長らく続いた日本の政治構造が一変する契機になるかもしれません。世界でも政治構造は「反グローバリズム」を軸に激動を示しています。


今回は、これからの政治の軸を考えるに当たり、個々の政策の次元を超えて政治の根底にあるはずの哲学や思想を総選挙を前に一度、振り返ってみる素材として、過日、松田政策研究所CHで行った私と松本誠一郎・ゆめラジオ主宰との対談の内容をご紹介いたします。


●グローバリズムの淵源は唯名論にあり…個々の違いを無視して全てを抽象化する考え方

現在、世界の政治の潮流となりつつあるのが反グローバリズムですが、では、グローバリズムの源泉は何かを哲学の枠組みで捉えると、欧州中世の「唯名論」、ノミナリズムに行き着きます。人間には太郎、次郎、三郎と色々な人がいますが、これを全て「人間」で抽象化してしまうのが唯名論。連鎖をやめて、一塊の「人間」という抽象化、体系化をする。


これができるから、人間は様々な科学的達成を遂げてきました。無限の存在の数を減らして、意識の方向を集中させる。そして、この世には名前しかない。個々の差異は脇に置いてしまう。最近では、LGBTという概念が、男と女の差異まで消して「人間」にしてしまっています。そうなると、それが実体化していきます。


唯名論の発祥は、12~13世紀の十字軍の頃でした。当時、唯名論vs実在論という普遍論争があった。「類」があるというのが前者で、実在論との間で論争になりました。実は、唯名論にこそグローバリズムの起源があります。


キリスト教における「原罪」は、アダムとイヴが犯したとされる罪です。しかし、それは私の行為ではない。だが、アダムとイヴを「人間」としてくくってしまうと、その罪は私にも及ぶ。キャンセルカルチャーとそっくりです。黒人奴隷を虐げた覚えは私にはないが、かつてその罪を犯した白人なのだから、それはあなたの罪でもあるという考え方です。


これはカトリックには都合の良い考えでした。それぞれの人に人間としての原罪を植え付けたい。キリスト教が世界的に拡大していく上で、大いに役立ちました。これが正しいキリスト教の教義なのかどうかは、キリスト教の世界でも今でも論争があります。ある人たちは信じていて、それを応用して、トランスジェンダーやキャンセルカルチャーになる。


共産主義は、経済的には生産手段の共有化であり、下部構造を変えて上部構造を変えるというマルクスの考え方であり、プロレタリアは団結せよ、資本家階級は糾弾せよ、と。それぞれの一人一人はいなくなります。地域性、民族性も関係なくなります。


場所はどこでもいいし、いつでもいい。世界共産革命です。唯名論はこのマルクス主義に繋がっていきました。他方で、キリスト教を通じて植民地主義が広がりました。これらはグローバリズムのそれぞれの側面です。その共通項が唯名論であり、「類」です。これを最初に哲学に持ち込んだのがフォイエルバッハであり、マルクスと似た立場でした。


●21世紀に台頭する実在論とナショナリズム…ロシアのドューギンと政治の新潮流

グローバリズム=唯名論は力を持つことになります。普遍性を持つからです。物理や化学は、どこで誰がいつやっても同じ結果になるのが特徴です。これで近代科学が発展したことは否定できません。これなくしてはテクノロジーがあり得なくなります。


しかし、思想や文化や心や哲学の観点からみれば、これは地域性や時間性を無視しています。唯名論もキリスト教もマルクス主義も、みんなを同じにするのが正義だという立場です。ロシアや日本が異質なら、戦争でやっつけようということになる。


ところが、21世紀に入ってもう24年経ちますが、政治の分野でも哲学の分野でも、これに対抗するナショナリズムが少しずつ出てきました。これまでは、テクノロジーやマルクス主義の装いを伴いながら、唯名論が圧倒的な力で人々をうちのめしてきましたが、今世紀に入って、このままだとみんな同じになってしまう、と。この考えは欧米(英米)からは出にくいでしょう。自分たちが担ってきたからです。


ここで着目すべきなのが、ロシアの思想家ドューギンです。ドューギンはプーチンのブレーンであり、西洋は自由にやっていいが、ロシアには押し付けないでほしい。ロシアにはロシアの魂や歴史があり、自分たちがやっていきたいようにやっていきたいと主張。西洋をこれ以上、受け容れない。プーチンがやっていることがここから見えてきます。


米国ではトランプの動きがあり、欧州では「極右」?の台頭といった政治の変化があります。ドイツではAfDが旧東独の州で第一党になり、フランスでは国民連合のルペンが次は大統領とも言われ、イタリアではメローニが首相です。欧州でも、グローバリズムではやっていけないというのが、ある種のコンセンサスになっている。


ルペンが実際に大統領になれば、これに勢いがつくでしょう。文明が混ざり合って一体化するのではなく、相手を排他せず、追放せず、別々に住みましょうと。そういう方向に世界が向かう。彼らは一様にプーチンにシンパシーを感じています。参政党はそういう新潮流を反映した政党です。


●自由な競争を支える自発的な協働のコミュニティ…未来の社会モデルが参政党

理念はそうであっても、実際にこの勢力が政治的な力を持つためには、経済をよくしなければなりません。いわゆる保守の立場なら、経済をこういう風に豊かにできるという点が重要です。では、保守の経済学とは?実は、その中身はこれまでなく、「消費税反対」になってしまう。それは保守の経済学とは関係ありません。


ここであえて保守的な経済学とは何かといえば、設計主義を採らないということが一つでしょう。自分たちが計画してその通りに経済を向けていこうというのがマルキシズムであり、そうではなく、自由なマーケットにある程度任せて、そこで出てくる価格や取引は自然に出てきた知恵なのだとして、これを大事にする。


しかし、他方でそれを利用してグローバリズムが強まっています。そこにどう歯止めをかけ、よりよい民族的なモメンタムを創れるかが問われます。マーケットという優勝劣敗、競争の世界も良いが、欧州には元々、キリスト教共同体が社会基盤として機能してきました。それは協働のコミュニティであり、それがあるから競争も花咲く。それを取り戻す。


ドューギンもコミュニティ、人々という言い方をしており、これをナロウドと称し、そこにこそ価値がある、と。設計はできないが、コミュニティで良いと思っていたところから自然に出てくるものがある。コミュニティとコンペティションの組み合わせが大事。


コミュニティではブロックチェーンによる地域通貨が重要な役割を演じます。自分の貢献に応じておカネが出てくる。それが市場経済を外側から支える。競争すべき分野とそうでない分野を仕分けすべきでしょう。なんでもかんでも競争だと外資が入ってきます。


「生活世界」という言い方もあります。共同体をもう一度大事にする経済学が必要です。それは自発的にできるコミュニティであり、参政党は政治的にそれをリードする政党です。つまり、ナショナリズムとコミュニティを大事にするのが参政党だといえます。ナショナリズムと言うより、愛国主義、パトリオティズムと言ったほうが良いかもしれません。参政党は、その意味で、フランスのルペンやロシアのドューギンとも連携すべきでしょう。


そこにはもう一つ、ポストモダンの考え方もあります。共同体は固定的なものではなく、離合集散、集まっては離れ、また集まり分裂する。人の動きはそうです。封建時代は無理やり人を土地に縛り付けていました。コミュニティはそれほど大きくならずに、適度な大きさで中心がいっぱいある、参政党はそういう次なる社会モデルを目指しています。


現に、あっと言う間に全国に支部が280もできました。参政党の基本は支部が主役であること。支部ごとに自分たちの地域課題に自分たちで向き合おう、テーマをみんなで議論し、それぞれの支部の課題は千差万別となります。自分たちで課題を見つけ、自分たちで解決していく。それは政党とか政治と言わなくても、一つの社会の在り方です。


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