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  • 執筆者の写真松田学

脱・自粛へのモード切り替えはいつ?~新型コロナとどう付き合うのか~

会合やイベントも出張も次々と中止、人の集まる場所に行けば家族から白い目でみられる?なかで、空いた時間をご自宅でどうお過ごしでしょうか。世の中はすっかり、自粛自粛…、政府がこれだけの要請を出した以上、活動したいなら自己責任で、などと言っていられなくなりました。人が集まることを中止しなかった人は無責任とバッシングされる?都心から人が消え、学校再開のめどは立たず、いったい、いつまで続くのか?


感染力は強くても毒性は強くなく、感染しても自覚のないまま終わってしまう人も多いのが今回のウィルス、感染者の数自体は世界中で増える一方でしょう。こんな自粛モードを続けていたら、経済も社会も崩壊です。新型コロナウィルスは、健康面の次は、社会問題のほうへと脅威を拡大している感があります。いずれ、このウィルスと社会がどう共存していくのかを考えることへと頭を切り替えるべき時期が来るかもしれません。問われるのはリスクコミュニケーションと、国民が事態や対策につき正確な認識を共有すること。


●危機管理のリスクコミュニケーション…あれでは炎上?

初動の危機管理に失敗した日本政府がようやく危機管理モードに入ったのは良かったのですが、どうも説明不足。今回、唐突とも批判された、安倍総理による全国一斉休校の要請も、「子どもたちの命を守るため…」だけでなく、たとえば、次のような説明なら、国民も関係者も納得感が強かったかもしれません。


…最も危険なのは、基礎疾患をもつ方々や体力の弱った高齢者であり、彼らを守ることに対策の重点がある。大事なのは、子どもや外で動き回る方々が、感染しても発症しないままウィルスを家に持ち帰ることを防ぐこと。完全な対策が困難ななかで優先順位があり、経済活動を止めてしまうと生活インフラが崩壊する。あえて学校を止める選択をした。…


本来、危機管理の要諦は、問題の所在はどこにあり、どこにどのようなリスクがあるのかを関係者全員が共有することだとされます。国民がそれをシェアして納得すれば、政府の言うことに加え、各国民が、ならば何をすれば良いかを自らの置かれた状況に即して考え、ポイントを押さえた行動で、感染抑止の効果を高めることになると思います。


こうした自粛要請措置については、方法は2つあるとされます。一つは、大きく構えて一挙にやり、状況をみて徐々に解除していく方式。もう一つは、エビデンスに基づき合理的な範囲で対処する方式。安倍総理は今回、前者を採りましたが、そこには政治的な思惑があったと推察されます。第一に、国を挙げての断固たる姿勢で、初動対応の失敗で傷ついた日本の国際的信用を取り戻すこと。特に東京五輪を考えると、この点は大事。第二に、危機対応が手ぬるいとの批判で分裂した保守層からの安倍総理への支持を取り戻すこと。


いわば、エイヤ!の面がありましたが、そうであっても、官製?で通り一遍の記者会見を途中で打ち切るのではなく、総理として言葉を尽くして国民に語り掛けるべきだったかもしれません。かつて、世論形成に長けた橋下徹氏は何時間もやりましたし、トランプ大統領も記者会見は真剣勝負、プーチンもときに延々と質問に答える姿を見せています。


さすがは勝負強い安倍総理、今回の一斉自粛要請に世論調査は結果オーライでしたが、アゴラ編集長の新田哲史さんは、松田政策研究所チャンネルで、危機管理のリスクコミュニケーションとしては、通常の企業なら、あれでは炎上…、常道から外れており、生活者の視点や納得へのプロセスがなく、政権への不信感を高めた懸念がある、としています。


●そもそも新型コロナとは?…最高のプライオリティーは病院機能の維持

安倍総理にはぜひ、このように話をしてほしかった…。政府や厚労省に代わって、渡邉哲也さんが松田政策研究所チャンネルで、国民が知りたいメッセージを発してくれました。


以下、かいつまんで、その内容を敷衍しますと、まず、新型コロナの性格ですが、ウィルスは自分だけでは生きていけず、生物に寄生し、自らをコピーして新しいウィルスになって増殖していきます。そのコピー作業の過程でコピーエラーが起こると新種のウィルスになりますが、この新型もそうした変質がすでに4~5回起きているようです。元々、野生生物からの直接感染の際は、人から人へ感染するウィルスではありませんでしたが、人から人へ感染するウィルスに変質したのが、最初の変質。1月上旬にこのことが判明した段階で対処していれば、武漢の地域ウィルスにとどまっていた。この点で中国共産党は罪深く、習近平は「習隠蔽」と言われている…。


感染者数は世界で10万人を超えたようですが(うち8割が中国本土)、その数字は正しくありません。それは感染者数ではなく、感染確認者数だからです。しかも、確認された数字は、潜伏期間である4~14日よりも前の数字。多くの国民が強く求めているのは検査ですが、そもそも検査とは、治療のための検査か、防疫のためかの検査か、2つの目的しかありません。現在、治療薬がないので、治療のための検査という意味はなく、すでに市中感染が広がってしまっている以上、防疫のための検査ということにもならないようです。


いま何が最も問われているかといえば、感染させないこと。人が集まることを避けるよう要請が出ていますが、人が集まる所とはどこかといえば、病院です。病院に検査に行っても、そこでもらったウィルスを持って帰った時点では陰性。陽性になるには、ウィルスが一定数まで増殖する必要がありますから、感染直後は誰もが陰性です。病院から陰性のまま、持って帰って家族に移す。それで感染が広がる。


だから、病院を守ることが最も大事なのだということになります。現に、日本で毎年、インフルエンザが流行る大きな原因は、皆が病院に行くからだと言われて久しいです。


重篤化するのは、基礎疾患を持つ人か高齢者、死亡の多くは多臓器不全、それは新型コロナウィルスでなくても、たとえば、透析が必要な人が透析を受けられなければ死亡します。これが武漢で起きたことで、問題は中国の医療体制にありました。


コロナとは要するに、普通の風邪であり、これまでも、コロナは何種類も伝染してきましたが、風邪で片付けられていたようです。従来のコロナは季節性で、暖かくなると終息しましたが、今回の問題は、まだ、その正体が十分に分からないことにあるようです。


現在、誤診率の高いPCR検査より、精度の高い検査キッドの開発が急がれています。実用化は3か月程度かかるようで、これは世界的な問題です。しかし、その検査も、前述のように、治療法が確立しての検査であり、そのことが先。治療がない検査は意味がなく、現状では、病気なので家にいてください、という対処しかできません。


それより、重篤な患者のために病床を開けておかなければ、医療崩壊が起きてしまいます。検査体制ができるまでは、まずはホットラインで時間を決めて、他の患者と交わらずに…ということになります。なんでもかんでも検査というのは間違っているようです。


全国一斉休校の要請については、生産活動が止まると生活インフラが止まりますが、学校が止まっても、それはなく、物事には優先順位があります。子どもは重篤化しにくいですが、学校から帰ってきて、おじいちゃん、おばあちゃんに移して重篤化させたら、その子にとっては一生のトラウマになるでしょう。そこで、移動させない。これはリスク計算と優先順位の問題であって、感情の話ではない。クラスター感染も若年層が中心です。


政府の要請は、人の移動を経済に最も影響ないかたちで制限したもの。持病のある高齢者はそもそも動き回りません。そして、最高のプライオリティーは、病院機能の維持。


●メディア報道の悲しい現実

しかし、テレビはといえば、検査、検査…、検査を受けさせてくれなかった高熱の子どもの例を出し、国民からの「けしからん」を煽りましたが、常連のコメンテーターたちもすっかりテレビでお馴染みになったようです。ただ、彼ら彼女らは一応、医師の肩書はあっても、感染症の専門家ではなかったり…で、むしろ、コメンテーターに向いている人ばかりが出ているような印象があるという指摘もあります。不幸なのは、報道番組が安倍政権のシンパとアンチとの代理戦争のようになってしまったこと、前述の新田氏の指摘です。ファクトベースの議論ではなくなり、原発事故のときと同じ状況になってしまった…。


テレビで引っ張りだこ、多くの主婦が信じる某女性コメンテーターは?…PCR検査をなぜ受けさせない?、特定勢力をやり玉に挙げると拍手となり、またコメンテーターとして呼ばれる。報道情報番組というよりも、エンタメ番組のように、センセーショナルにつくられてしまう…。コメンテーターとして呼ばれる人には呼ばれ癖がつき、局が台本を予め用意して、その方向に持って行かれる傾向もあるとのこと。


そもそも国難のときに、100%の対応などできないものです。限られた情報での判断を迫られているときに、平時のような発想で追及しているのではないか…。メディアが国民の気持ちを煽って、政治がそれに合わせなくてはならなくなり、それでズルズルと悪い方に行く…、危機の時ほど、問題解決型にならず、悪い奴をやっつける型になる。


それが日本のジャーナリズムの悲しい実態。現場の医療資源に限界があるなかで、パニックを起こさないようにするところに政府の対応の最大の眼目があるはずなのですが…。テレビの言うことの反対をすると、正解になるとの声もあります。


●平時モードに向けた心構え…新型コロナと共存する社会?

さて、日本が初動での国境措置で断固たる危機管理ができなかったのは事実ですが、止めていたとしても、時間の問題だったと考えるべきでしょう。あの米国でも感染は拡大しており、それも、ワシントン州では6週間前に武漢から渡っていたウィルス?春節前に止めていたとしても、完全には止められなかったというのが現実。


ここでは「ここ1~2週間が山場」とされる有事への対応を中心に述べてきましたが、いつまでも有事が続けば国も社会も崩壊します。学校の休校で、子どもを持つことに負担を感じる親が増えれば、少子化を加速するかもしれません。有事がいつ終わるか、平時への着地点は定かではありませんが、そろそろ、平時において新型コロナにどう向き合うかの心構えについても考えておくべきかと思います。


東大医学部を卒業後、臨床の名医として大活躍している私の大学時代の友人が、こんなメールを私たち同窓生に送ってきました。


「皆さんが騒ぎに惑わされておられない事を願っています。『感染拡大が続くコロナ』と報道されていますが、臨床医としての私の目にはどう見ても、『今、新規に発見されている感染者の殆どは中国渡来ではない(おそらく何年も前から日本にいる別の)コロナウイルスでの普通の風邪が少しひどくなって見つかるに至っている』だけに見えます。クルーズ客や観光バス運転手&ガイドさん達は武漢からのウイルスでしょうが、その後はPCRの交差反応という解釈です(散発的な風邪をわざわざPCRで検出している構図)。私は毎日の診察に出る際も街を歩く時もマスクなんかしてません。…中略…手はよく洗ってますけどね。『感染が早く収まる』のではなく『騒ぐ風潮が早く収まる』のを願っています。風邪はいつでも誰でもひきますので。」


このメールについて、これも私の東大の同級生で、現在は正にPCRを研究している某大学教授が、その通りだと同調していました。一般に、臨床の専門医たちは、検証が十分にできていない段階での公式発言を、まだ控えていると聞いたこともあります。


毎年、日本では1,000万人がインフルエンザに罹り、うち1万人が亡くなっています。まだ未知の部分が多く、治療薬も開発されていない新型コロナに対して万全の対策は必要ですが、大事なことは重篤化への対応であることはインフルエンザと同じ。病原性は必ずしも強くなく、感染者は無症状が多い新型コロナについては、免疫力を高めることで罹患しても大半は軽症で済むことになるという指摘もあります。


いずれにしても、経済や社会の機能低下で国力の弱体化が懸念されるまでの過剰反応は、バランスを失することになりかねません。何度もパンデミックを経験してきた人類は、免疫抗体を獲得しながらそれを克服してきました。多くのウィルスと同様、新型コロナも人類と共存するようになる。むしろ、そのように発想を転換し、国民の免疫力の強化と重症者への医療対応で日本が世界のモデルになることをめざす。前号のコラムでデジタルトランスフォーメーションに触れましたが、これも危機をチャンスに転じる道かもしれません。


もう一つ、現状ではまだ不足するマスクの供給が中国依存だったことが突き付けたように、今回を契機に、私たちの経済も、グローバル経済依存型から、一定程度は、産業フルセット型国民経済への逆転換を図るべきかもしれません。そのために、リバタリアン的な自由市場経済に傾き過ぎた現状から、安全保障や国民生活の視点に立った国家の役割の再構築へと進む…。このことも平時における今後の課題として問われているように感じます。


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