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  • 執筆者の写真松田学

真の独立国家に向けた日本の立脚点は戦後の対日洗脳政策からの脱却~日米の協働で正しい歴史認識の共有を~

今般のウクライナ戦争を受けて、最近では国防に対する関心が国民の間で高まっていることが世論調査でも示されています。ただ、「国の守り」とは何も軍事には限られません。経済安全保障という言葉もすっかり定着しましたが、現代における「侵略」とは、経済や技術、社会や世論、サイバーや国民の心理など、広範な領域に及ぶSilent Invasion(静かなる侵略)がその主流となっています。そうであるからこそ、その中にあって、国の守りの根幹をなすのは、何よりも国民の決意でしょう。この点で戦後の日本は異常な国です。


かつて「日本異質論」が喧伝されたことがありましたが、他国と比べて日本が圧倒的に異質なのは、むしろ、国民の国家意識が極めて薄いことではないでしょうか。国家意識を欠いた国民は、欧米では「人格破産者」とされているそうです。


戦後日本人の国家意識の喪失を痛感させられたのが、私が現職官僚だったときに起こったある事件でした。それは、雄略天皇以来千四百年も連綿と続いてきた、しかも唯一のやまと言葉の官庁名だった「大蔵省」が、2001年から「財務省」へと改名された事件。これだけの伝統を誇る事例は、他国にはみられないものでした。これをいとも簡単に捨て去ることに、国民世論から強い反論がなかったことに、当時、強い違和感を覚えたものです。


他国と比して極めて薄い日本人の国家意識は、戦後の日本が独立国としての条件を満たしていないこととも密接に関係していると思います。これには、戦後、GHQのもとで行われた、歴史上まれにみる日本人洗脳工作が大きな影響を与えており、その後も継続的に続けられてきたプロパガンダに対して脆弱な国民意識が出来上がってきたようです。


戦後のGHQが第一の占領政策だったとすれば、1990年代に経済面で受けたのが第二の占領であり、大蔵省の省名変更はその象徴だったのかもしれません。結果として、日本のマネーは国内での循環よりもグローバル勢力を潤す方向に流れる構造が「改革」の美名のもとに定着、平成の30年間、日本は主要国の中で最も経済成長しない国になっていました。


そして、今回のコロナ騒動は、意識面においても、グローバリスト全体主義による日本占領を完成の域に到達させるものであると位置づけられるような気がしてなりません。


今回は、この流れの根本にある戦後の言論統制と、これに加担した日本のマスメディアの原罪について、山下英次・大阪市立大学名誉教授が松田政策研究所CHで行った問題提起を軸に論じてみたいと思います。


●日本は独立心も国家意識も欠いた異質な国

独立国家の「三種の神器」は、①自前の憲法、②国防軍、③統合された国家情報機関と防諜法。日本はこれらのいずれも持っていません。山下氏の問題提起はここから始まりました。もちろん、日本は経済力、技術力、国民の知力といった独立国として必要な基本的条件はほぼすべて備えています。明治期の日本は、これらを身に着け、立派な独立国になりました。現在の日本にないのは、国民がその気になっていないということです。


まさに、福沢諭吉の「一身独立して一国独立する」(学問のすゝめ)を欠く国。日本が独立国でないのは、国民の独立心と決意が足りないという点に尽きるといえます。


その淵源は、多くの国民がGHQの洗脳による自虐史観から未だに脱していないことに行き着きます。戦後、GHQが日本列島に仕掛けたのは「巨大な洗脳の檻」(WGIP、War Guilt Information Program)であり、世界史でもまれにみる徹底した言論統制でした。その後、77年間、日本人は繰り返し、プロパガンダにより洗脳を上書きされてきました。その根底には、歴史上、これも稀なる米国側の戦争犯罪を覆い隠す意図があったといえます。


とにかく日本は悪いことをした国である、から始まって、政府は常に悪いことを企む存在である、平和安全法制で戦争をする国になる、マイナンバーで国民を監視しようとしている…日本が強くなろうとするたびに、こんなプロパガンダが日本の足を引っ張ってきたと同時に、日本国民の間に、それを信じやすい土壌が77年にわたり形成されてきました。


かつて大戦という「熱戦」の終了後、次は心理戦だとばかりに日本に乗り込んできたのが占領軍。焼け野原の中で茫然自失の日本人は、これに完全にやられました。熱戦が90%の敗北(終戦後も樋口季一郎中将率いる軍勢がソ連の北海道侵略を阻止)だったとすれば、心理戦は120%の敗北でした。戦時中は日本の都市への実弾絨毯爆撃がなされましたが、熱戦終了後は日本人一人ひとりの頭の中に入り込んだ思想の絨毯爆撃が展開されました。


占領政策の目的は日本を二度と米国に歯向かうことのない国にすることでしたが、もう一つ、戦時中の米国による戦争犯罪を糊塗するという目的がありました。都市への無差別爆撃や原爆投下は、軍隊による民間への攻撃であり、明らかなハーグ陸戦条約違反でした。


さらに、もう一つの目的は、日本人の国家意識を喪失させること。これは日本国民全体を、欧米の基準では「人格破産者」にするという、とんでもない所業でした。その手段としてGHQはまず、日本のメディアはGHQの命令に完全に従えという指令を出しました。


●歴史上まれにみる徹底した対日洗脳政策

山下氏によると、GHQによる洗脳政策は次の6つの柱から成っていました。①現行憲法の押し付け。特に前文と交戦権を全面否認する第9条2項。②20万人以上に及ぶ公職追放。選挙で勝利した鳩山一郎氏の首相就任も直前に阻止。③日本の伝統的な歴史・道徳教育の全面禁止。④ WGIP、⑤厳格な言論統制、⑥東京裁判。


うち③については、教職追放令で12万人以上の教員が交代させられ、教員は皆、左翼になり、古事記や日本書紀がタブー視され、修身、歴史、地理教育が全面的に禁止され、教育勅語が排除されました。④については、「日本人再教育プラン」で、日本国民に、日本軍の犯した残虐な行為や指導者の戦争責任を熟知せしめました。WGIPのバイブル「太平洋戦争史」は、歴史家でもジャーナリストでもないプロパガンダの専門家が書いた、歴史書に似せた米側のプロパガンダ本であり、10日間にわたって全文を東京の5大紙に掲載させ、文部省に買わせて学校教科書としました。こうして、新聞、ラジオ、学校教育を通じて、物心のついた日本人はすべて洗脳されることになりました。


なかでも⑤については、徹底的な検閲がなされたようです。東京の5大紙への完全事前検閲を始め、新聞、雑誌、電信電話、書籍(含む自費出版)、政治家の演説、映画、演劇、詩歌、歌舞伎、文楽、神楽、童謡、流行歌、落語、旅行用携帯文書、子供が書いた学級新聞、封書など、ありとあらゆる言論空間を厳しく統制し、約七千冊が発禁本となりました。


ここで重要なのは、GHQが言論統制の事実を全て秘匿したことです。それは、ポツダム宣言(第10項の言論、宗教、思想の自由)や米国憲法(修正第1条の宗教、言論、出版、集会の自由)や現行日本国憲法(第21条の言論の自由)などに違反するからでした。こうして米国は、日本人のみならず、米国人や世界の人々をも欺いたわけです。さらに、内外の情報を遮断し、日本列島全体を「洗脳の檻」にすべく、外国人の日本渡航は原則禁止、日本滞在の外国人の本国への手紙も検閲、終戦時に海外にいた日本人は帰国させられました。


●正しい歴史認識の共有こそが「戦後レジームからの脱却」

日本ではその後も、GHQの右旋回を無視して、一種の敗戦利得者たちがGHQの初期の左翼的な政策を拡大再生産してきたことが、今日まで洗脳が続いてきた原因といえます。「戦後民主主義の進歩的文化人」たちが学問や論壇の主流を占め、終戦時に40代の国民が大正デモクラシーの洗礼を受けた世代であり、終戦時に30代の国民が昭和初期の共産主義思想の洗礼を受けた人々であったことも、ロシアやドイツのような敗戦革命の考え方を受け容れやすくしたようです。


加えて、今日の反日団体の多くがGHQが作ったものであることも無視できません。日教組は歪曲された日本の教育を推進し、日本学術会議は日本の科学者に軍事研究をさせないために作られたものでした。日弁連は国連人権理事会などで活発な反日活動を行い、東京地検特捜部にも米国の意向を斟酌したかのような判断が見受けられなくもありません。


日本で普通に学校教育を受け、家で新聞やテレビを見ているだけでは、「GHQ洗脳」からの脱却は困難でしょう。学校教育もメディアも自虐史観に陥ったままです。日本のメディアは、戦後、GHQの洗脳に加担させられたことを反省せずに、あたかも自分たちの元々の考えであるかのように振る舞ってきました。そもそも、戦後において、戦前戦中にも増して厳しい言論統制が日本でなされたことすら知らない指導者がほとんどです。


ドイツの場合、戦前のメディアの存続は一切認められなかったようです。日本の場合は戦後も存続が認められましたが、その代わり、GHQ洗脳プロパガンダに加担させられたといえます。日本のメディアは、その事実を告白・懺悔すべきではないでしょうか。メディアが「公器」とされる存在であるなら、それは国民全体に対する義務であるはず。メディアの不作為は、国民に対する負債です。「報道しない自由」に甘んじていいのでしょうか。


ただ、戦後77年も経たこんにち、かつて日本人を洗脳した米国という国家は、もはや、私たちが非難すべき対象ではありません。むしろ、同じ価値観を共有する同盟国どうしとして全体主義に対峙するための結束を確固たるものとすべく、この際、正しい歴史認識の共有に向けた共同作業を始めるべき局面なのではないかと思います。それこそが、これからの世界の安全保障の強固な礎となるはずです。今般のウクライナ戦争も、戦後の「国連戦勝国秩序」がもはや時代遅れであることを明確に示しています。


その上で何よりも大切なのは、私たち日本人自身が自国の歴史を正しく知り、健全な国家意識を取り戻すことでしょう。参政党はこのことを原点にしつつ、徹底的に歴史を学ぶことから政治を組み立てている政党です。

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