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  • 執筆者の写真松田学

時代遅れの法制度と日本の危機~イージス・アショアの停止と河井夫妻の逮捕が意味するもの~

経済活動が再開へと動き出しましたが、過日、ついに安倍総理にも、日本が集団免疫状態にあることについて詳細な説明が入ったようです。問題は、今後本格化するであろう倒産、廃業の嵐・・・。局面転換を政策にどう活かせるか、危機管理はこれからかもしれません。


危機といえば、安倍政権の土台をゆるがす事件が次々と起こっていますが、今回は、イージス・アショアの停止と河井前法相夫妻の逮捕について取り上げます。いずれも政権のみならず、時代遅れの法制がもたらす日本全体の危機を象徴する事件では・・・?中国仕込みの情報戦、世論戦、心理戦・・・いまは「超限戦」の時代であることにも留意すべきでしょう。


●総理にも入った集団免疫説と真面目な国民性が招く経済危機

死者数が人口当たりで2桁少ない日本は「世界の謎」。その「ファクターX」については諸説ありましたが、どうも京大の上久保靖彦・特定教授の集団免疫説へと収斂する可能性が出てきたようです。新型コロナの各種の型が世界でどのように感染を引き起こしてきたか、そのトータルで詳細な分析に基づき、日本の場合は昨年秋ごろから入っていた弱毒性ウィルスもあって、抗体、獲得免疫、自然免疫が集団免疫状態を達成してきたとのこと。BCG説の主唱者で日本の免疫学の権威の阪大の宮坂氏も、上久保説の支持へと転換・・・。


専門家会議や接触率8割減の西浦説を打破すべく毎日のように安倍総理と連絡をとり、緊急事態宣言の解除へと導いた総理のブレーンのO氏が、上久保氏を総理に会わせ、この新型コロナの最終的な解決状態にある日本の集団免疫について、詳細に説明したそうです。


総理が分かっているとしても、問題はこれが政府の対応を変えるどうか。米国でも小売業や接客業の失業率が突出して高まっていますが、日本でもこれら業種の業況は予想以上に深刻です。「新常態」といっても、店舗やレストランに入れる客の数が半減なら、そもそも採算がとれません。特に、店舗の多い中堅チェーン店の場合、零細規模の業者しかカバーできない持続化給付金などでは到底追い付かず、廃業、倒産が本格化するのはこれからだと、すでに廃業を決めた業者から聞きました。そうなると、経済は二番底、三番底・・・。


そもそも「新常態」のエコノミクスが成り立っていないのですから、補正予算を追加してもキリがないでしょう。真の対策は、「新」をとって「常態」に戻すこと、せめて、8割減を接触率2割減ぐらいまで戻すことではないでしょうか。今後も新型コロナの感染増は局所的には発生しますので、来店顧客数をかつての10割まで戻そうと旗をふっても、「コロナ脳」のもとでは、実際には以前ほどには戻らないと思います。


集団免疫と言っても、人間とウィルスとの関係は複雑系です。新型コロナ恐れるに足らずといった単純な割り切りができるものではありません。実際の免疫力の状態は人それぞれでしょう。感染する人、重症化する人は、一定程度は存在します。ただ、その程度が欧米よりも著しく低い日本の場合は、例年の死者数がもっと多い通常のインフルエンザへの対策+αで気をつければ、通常の活動を奨励するぐらいの政策へと転換できるはず。


また、そうでないと、法的根拠なき「自粛」で自粛マインドが過剰化し、「コロナ脳」へと委縮した真面目な国民性のもと、日本経済が本当の危機に陥る危険性があると思います。


●専守防衛の限界を露呈したイージス・アショアの停止

さて、このところ、政権の危機?を思わせる事件が次々と起こっています。そのなかには、給付金30万円の10万円への変更、官邸が抜擢した黒川氏の更迭や国家公務員法と検察庁法改正の棚上げ、9月入学や、アビガンの5月中認可の棚上げ・・・といったように、一度は官邸主導で進められた路線がひっくり返されることがもたらす政権の信頼性の低下という危機があります。あのイージス・アショアも、停止へと追い込まれました。


この陸上配備の弾道ミサイル迎撃システムは、私がかつて同じ党で政治活動をともにしていた中丸啓・元衆議院議員が英国視察からヒントを得て、2013年に国会で初めて提起したものです。それから7年近くを経て、このシステムそれ自体が時代遅れになっていたのは間違いありません。弾道ミサイル技術はどんどん進歩し、北朝鮮も変則的な軌道を描くミサイル技術を導入し始めています。防衛側で迎撃力を高めれば、それを上回る技術が攻撃側で開発され、次にそれに備えるには膨大な時間がかかるというイタチごっこ状態です。


これこそが現行憲法のもとでの専守防衛の限界・・・。防衛に必要な抑止力とは、本来は攻撃能力。早速、安倍総理が敵基地攻撃論の検討を指示しましたが、確かに、「座して死を待つ選択肢はない」とした1956年の船田防衛庁長官の答弁があり、これは違憲ではないとされてはいます。これも専守防衛という時代遅れの軛から脱却する一つの道ではありますが、イージス・アショアをやめるのであれば、これに代わる現実的な代替手段が必要でしょう。


一部には、現在7隻あるイージス艦を増やす、すでに莫大な国費で契約されたイージス・アショアの装備の一部をこちらに活かすとの議論も出ているようですが、そもそも少子化で自衛隊員の絶対数の確保が困難。その運用に当たる人員の不足から、現実的な選択肢ではなさそうです。考えるべき代替手段は、防衛のあり方自体の変革ではないでしょうか。


航空機に対するドローン攻撃が新たなテロの手段として深刻化するなか、これに対する防衛策としてイスラエルの企業が開発したのが、ドローンを「打ち堕とす」のではなく、サイバー攻撃で「乗っ取る」システム。ドローンの操縦システムを電子的に操ることで、これを別の場所に着陸させる方法です。いまや軍事はサイバー戦、電子戦の時代。今回の「停止」決定は、巨費を投じる物理的な迎撃や攻撃よりも、さまざまな情報技術を駆使するシステムへと日本の防衛体系をバージョンアップする良い契機とすべきでしょう。


ただ、その場合にもネックになるのが、こうした安全保障のパラダイムシフトに対応できない時代遅れの現行憲法です。サイバー防衛の要諦は、事前に怪しいサーバーをサーチして封じ込めること。瞬時に攻撃が終了する電子戦では、迎撃という概念そのものが通用しません。これも専守防衛がネックになっているとされています。


●停止措置が住民の反対を理由とすることの危険性

もう一つ、イージス・アショア停止の問題は、その理由にあります。内部情報によれば、どうも「河野大臣が・・・」。住民の不安を払拭するためにはシステム改修で追加の巨費と膨大な時間を要する・・・こんなのいっそのことやめてしまえ!大臣の声が響いてきそうです。


河野太郎氏といえば、かつて私が財務省から他の機関に出向していた頃、久しぶりに訪れた本省で、どのトイレにも設置してあった「うがい器」がすべて封鎖。驚いて同僚に尋ねたところ、当時、自民党で行革の旗振り役をしていた河野太郎氏の指示だとか・・・。


かつて財務省では勤務の合間に理髪店に行けるなど、効率的な公務の運営に安心して当たれるための省内の福利厚生関係が充実していたものですが、当時、そうした諸施設も合理化の旗のもと、次々と閉鎖されていました。うがい器など、健康の保持こそが効率的な執務に資することになるはず。少しヒステリックな「コストカッター」では・・・?


それよりも心配なのは、イージス・アショアの停止の理由が、住民の反対であることです。住民が反対すれば国際的な約束事も破棄してしまう・・・?これが前例となって、同じことが繰り返されるリスクがあると認識されてしまうと、日本は国家としての信用を失いかねません。早速、米国筋からはそのような懸念が表明されているようです。


外交上も、今回の計画停止によって、秋から本格化する在日米軍駐留経費の交渉などで、米国が代わりの措置として日本の負担増を求めてくる可能性が指摘されています。


どうも今回の件、地元住民による?反対運動においては、辺野古基地移転反対運動と同じ顔の人物が確認されているとのこと。中国なのか、どこなのか・・・?日米が超限戦に屈した結果がイージス・アショアの停止なのだとすれば、大変由々しき問題です。


●河井夫妻の逮捕と公職選挙法の恐怖政治

時代遅れの法制度としては、現行の公職選挙法が、その最たるものでしょう。およそ選挙活動の運営に携わった経験のある人であれば、このことは異口同音です。同法は、いまの世の中にまったく合わない複雑怪奇な法規制に満ち溢れ、候補者が自らの政策を有権者に存分に知ってもらうための活動を大きく妨げています。私は河井夫妻に同情する立場にはまったくありませんが、彼らとて、ある意味、同法の犠牲者である面なきにしもあらず。


いまの黒岩知事が神奈川県知事選に出られる頃、ある横浜政界の実力者から、こんな電話が私にかかってきました。「松田さん、3億円を集めたそうで、知事選に出ると、菅さんに話しましたよ。」もちろん、まったくの冗談、そんなお金もありませんでした。その真意は、私のような知名度も地元政界での実績も薄い人間が知事選に出るためには、県議や市議、動いてくれる関係者に現金入りの封筒を配りまくらなければ無理だよ、ということ。


ウグイス嬢への報酬の実際の相場が、法律に規定された一日1万5千円の2倍の3万円であることは、現実の選挙では関係者の常識になっています。特に総選挙のようなウグイス嬢奪い合いの状態になると、規定を守っていてはまともに選挙ができなくなる・・・。


政治家本人もわからないよう処理される場合が多いですが、選挙事務所のほとんどが何らかのかたちで法律違反をしているので、敵陣営からスパイが送り込まれていれば、スキャンダルは容易に出てきます。場合によっては本人が連座制で公職から追われたり、犯罪として摘発されたりする。政治家の多くがこんなリスクを抱えているなかで、今回の河井夫妻の逮捕や菅原前経産相のスキャンダルに内心、戦々恐々の国会議員は多いでしょう。


多額のカネを地元議員等にバラ撒いたとはいえ、これを自らの政党支部から各議員の政党支部への寄付金として送金すること自体は合法的なはず。配り方に問題があったのか?そもそも本質的な悪質性はどこにあるのかという問題はきちんと見極める必要があります。


私がここで指摘したいのは、古い時代の公職選挙法は恐らく、政治家=悪として摘発することを目的とした法制であって、それがもたらした制約が政治家の行動や言論の自由を束縛するあまり、地元有権者に政策や理念を伝える手段が極めて限られてしまっているということです。選挙期間に入れば堂々と集会をしたり、有権者を訪問することも難しく、駅前での街頭活動での演説やビラ配りでは、自分の政策すらほとんどの有権者に知ってもらうことができないもどかしさを私も感じました。これでは、日頃の組織的な活動が可能なまでの資金力に恵まれた候補者しか当選できない。本末転倒の法制度になっています。


有権者の側でも、どの候補者がどのような人物で、いかなる政策を掲げているかを本当はもっと知りたいはず。ネット選挙の解禁で、少しは補われましたが、基本はメディア報道での政党イメージか、駅前でたまたまみかけた候補者の外見、関係組織からの働きかけで、投票所で頭に残っている名前を書いている方が大半でしょう。公職選挙法は、有権者の選択の機会を高めるという設計思想のもとに、抜本的に組み替える必要があります。


●課題はSilent Invasionに対する脆弱性の克服

公職選挙法のもう一つの大きな問題は、法律を守っていては当選できないという法律のもとで、ほとんどどんな政治家も、「文春砲」の炸裂で政治的に葬り去ることが可能になっていることです。これでは、外国勢を含め、特定勢力の思惑で日本の政治がいとも簡単に操作され、乗っ取られる危険性にすらさらされているといえるでしょう。


先ごろ、長い間待たれていたSilent Invasion「目に見えぬ侵略」の邦訳版が、私の議論創りの仲間である山岡鉄秀氏の監訳で出版されました。一帯一路で自国が主宰する国際秩序形成を着々と進める中国にとって、自由民主主義諸国のなかでも最も弱い国とみなされた豪州は属国化の対象。日常の経済取引から、世論形成、サイバー、政治活動など、もはや国家の安全保障の領域は軍事ではなくなったといえるほど、一国のあらゆる側面からの浸透工作を、一般国民には見えないかたちで受けてきた豪州の状況が赤裸々に記述されている本です。その日本語版序言にもあるように、日本も、その格好の標的に・・・。


他国による覇権的支配から自国を防衛し、法の支配と自由民主主義という価値を守り抜いていくためにも、これまで私たちが暗黙のうちに正しいものとし、規範的な前提としてきた憲法を始めとする諸々の法的諸制度が果たして大丈夫なのか。これらを時代に合わせて一から組み立て直す必要に迫られていると感じるのは、私だけではないと思いたいものです。


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