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  • 執筆者の写真松田学

日本国民は国家分断の奸計に乗せられることなかれ~安倍氏国葬儀参列と「新しい国づくり」を引き継ぐ決意~

先週、参政党の定例記者会見の冒頭、代表挨拶で私が申し上げたのは、まずは9月27日の安倍氏国葬儀に参列したことの意味でした。そして10月3日から臨時国会が始まることについて、他の野党は国会審議で国葬問題や旧統一教会問題を集中的にやるようですが、参政党は選挙でも約束した、国民にとってもっと大事な問題をやると申し上げました。


それは国のまもり。すでに先般の臨時国会で、外国人による土地買収、上海電力のような我が国基幹インフラへの侵奪問題、北朝鮮に拉致された特定失踪者の実態解明、ウクライナ戦争に関する食料や対ロ外交の問題に加え、コロナワクチン問題も含め5本の質問主意書を提出しましたが、出てきた政府答弁はなっていなかった。ここをさらに追及することに加え、秋の臨時国会ではたくさんの質問主意書を新たに出す…。


議席が一つですと、国会質疑の機会は限られます。ただ、国会の委員会質疑でとれるのは担当大臣の答弁。これに対し、政府が閣議決定で答弁を出すことで政府全体を縛ることになるという意味でより重いものといえるのが質問主意書。こちらは、多数の党員が政策に参画する独自の仕組みを持つ参政党なら何十本でもいくらでも出せます。少なくとも10議席分ぐらいの国会活動になるのではないかと思います。


加えて、ワクチン問題に関して国政政党では唯一、警鐘を鳴らし続けている参政党は、すでに国会での超党派ワクチン議連を事実上、推進している立場ですが、これも次の国会で、科学的根拠に基づいた政策転換をさらに迫っていくことを、会見では宣明しました。


これらはいずれも他の既成政党が臨時国会でほとんど無視するだろう、国民の重要関心事。10月2日のNHK日曜討論には、議席数が5つに満たないからか、また参政党は呼ばれませんでしたが、国葬の手続きとか統一教会とか、心ある国民にはうんざりでは?比例で176万人の国民が支持した参政党を地上波が無視すること自体が問題ですが、これだと、いつまでも国民が知りたい、やってほしい国政テーマへと国会が進んでいかないでしょう。


国葬を巡る一連の報道や、それによって形成された日本の世論の動きが物語っているのは、反日勢力がメディアを通じて日本の国家分断に見事に成功したことだと思います。国葬の最中にも「国民に賛否両論がある」との枕詞で報道された安倍氏の国葬、このこと自体が国際社会の中で誠に恥ずかしいこと。すでにコロナで気付きを与えられた国民が増えていたことですが、日本はグローバル勢力によっていとも簡単に世論操作されてしまう国。


安倍氏暗殺、統一教会、国葬…これらを巡る異常さは、安倍氏が身をもって日本国民への警告を発してくれたものとも感じられます。反対で煽った方々、欠席した野党の皆さん、日本人として目覚めてほしいものです。私が国葬に参列した第一印象はこのことでした。


今回は以下、私の「安倍氏国葬参列記」と、関連する私の思いをお届けします。


●私が体験した国葬儀の模様~海外からの参列者の入場で雰囲気が一変~

現職及び元職の全国会議員に案内状が届いた安倍元総理の国葬儀では、政党の党首は最初から別格扱いでした。国会議員の皆様はバスでの入場でしたが、党首の日本武道館への入場はそれぞれのクルマで昼の12時前後と決められ、儀式の最後に当たる献花に私が他党の党首とともにたどり着けたのは、ちょうどその時のテレビ中継画面の写真から確認された時刻が4時10分。待つこと4時間超でしたが、それでも大臣や国会議員よりは先でした。


国葬反対であえて欠席した政治家の方々、出てみたらわかります。私たちは日本人です。案内を受けながらも、そして出ようと思えば出られるのに、この国家としての重要行事に反対する立場をとって弔意を示さなかったことは、国家のために奉仕するはずの国会議員として後悔することになるのではないか。それが儀式開始後の最初の率直な感想でした。


ここで参列したときの模様を記しますと…私たち政党の党首は1階アリーナのほぼ最前列で、私の隣は立花氏、玉木氏、馬場氏…午後2時からの国葬儀開始まで約2時間、雑談をしておりましたが、開始少し前に私から2mの至近席に、のちに素晴らしい追悼の辞を述べることになる菅前総理が着席、その後、前列には明恵夫人始め安倍氏の親族が着席し、私の真ん前には親族として岸信夫・前防衛相が車いすで陣取り、さらにその前の最前列は天皇勅使など4人、私たちの左方は皇室の方々や岸田総理など、右方は歴代総理など元三権の長の方々、私たちの後方は現職の大臣や副大臣などでした。


それぞれの席で参列者が待機中の会場は静止画面のような、写真を撮るのも憚られるような雰囲気で、安倍氏の写真が大きく掲げられた祭壇の前で自撮りをしていた方に対して後ろの閣僚席から「撮影禁止だ」と注意の言葉も出ましたが、それがガラリと変わったのは、各国の首脳や大使、国際機関の代表など海外からの数百人の参列者が一斉に入場してからでした。お気の毒に、エリザベス女王の国葬では誰もつけていなかったマスクを着用させられた外国人の方々が皆さん、次々と祭壇の前でスマホで写真を撮りまくっている風景は、まるで観光客たちの姿でしたが、これにはどこからも注意する声は出ませんでした。


武道館の中にも響いていた大砲のあと、明恵夫人を始めとするご遺族がご遺骨とともに入場し、国葬儀が開始。先日の全国戦没者追悼式と同様、君が代は斉唱ではなく「無言歌」?に。その後、岸田総理から始まった弔辞や拝礼や供花が続いたあとは献花となり、元三権の長の方々の献花のあとは、ハリス副大統領やモディ首相、バッハ会長など海外からの参列者による献花が続き、これが長時間続いたあとに日本国民により献花に戻り、茂木幹事長を始めとする私たち党首、そして閣僚、国会議員と続きました。


●国論分断は国際社会に対し恥ずかしきこと~テロと戦う国家意思の表明が国葬の意味~

この国葬儀、どうも「賛否両論ある」という枕詞付きでテレビなどでは報道されていたようですが、国民の大半が国葬に反対していると言っても、それはメディアや野党が煽ったことが大きいでしょう。特にテレビに影響されやすいのが日本人の国民性。


しかし、国民として弔うときは弔う、手続きに問題があるなら、それはそれで議論すれば良いことでしょう。だからと言って弔いの場にも出ないのは、国際常識にも、本来の日本人の常識にも反することではないでしょうか。


私は国葬儀のあとは松田政策研究所CH番組収録に直行し、夜7時から「松田学が見た安倍元首相国葬儀」をテーマに山岡鉄秀氏との対談を生配信いたしましたが、山岡氏は、反対意見が多いなどと流れていた報道について、これは国際社会に対して恥ずかしいことだと悲憤慷慨。豪州では、ある地域で頼んだわけでもないのに、半旗が掲揚されていたとか。こうした世界の国々の声に応えられることをするのが国際社会の常識ではないか…と。


私が国葬儀に向かう車中から高速道路越しに見えた千鳥ヶ淵周辺の路上では、実に多数の国民が献花のために並んでいましたが、これが日本国民の本当の姿だと思います。


国葬とは国家としての意思を内外に示すもの。だから税金を使う意味がある。一国の指導者が白昼堂々、あのような形で暗殺される国であってはならない、テロに対しては断固として闘うという決意を国家の意思として示すための国葬である。私が今回参列したのは、安倍氏への追悼の思いもありますが、この参政党代表としての立場からでした。


ちなみに参政党は、参院選終盤の7月8日の昼前に、安倍氏銃撃の第一報が入ったあと、他の政党がその日は一切の街頭活動を中止するなかにあっても、これは民主主義を暴力で否定する蛮行であり、世の中を変えるのは言論の力である、テロには断固として反対するという意思表示をするため、予定通り街頭演説を続けた政党でもあります。


●政治の世界に信念を貫くことの素晴らしさを示してくれたのが菅義偉前総理の弔辞

安倍氏の国葬儀での弔辞の中でも素晴らしかったのは、やはり菅前総理による弔辞でした。7年8か月にわたり、そばで使えた者としての真情が訥々と伝わってきました。


「安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。20代、30代の人たちが、少なくないようです。明日を担う著者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。…


いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。」


この言葉は、参政党の街頭演説で、子供たちから「日本の素晴らしさを語ってくれた、感動した、私たちが引き継いでいきたい」という内容の手紙を多数いただいて、自らが政治活動をしている意味を実感できたときの気持ちを思い起こさせてくれるものでした。


「そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として揺らがなかったことであります。…最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。私はこのことを菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思い出すであろうと思います。…総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。」


生き馬の目を抜くがごときの政治の世界でも、信念で結ばれた人間関係があり、最後はそれが実を結ぶ、そういうことがあることを信じさせる言葉だといえます。


「衆議院第一議員会館、1212号室のあなたの机には、読みかけの本が1冊ありました。岡義武著『山県有明』です。ここまで読んだ、という最後のページは、端を折ってありました。そしてそのぺージには、マーカーペンで線を引いたところがありました。しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。総理、いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。


かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」


考えてみれば、あの伊藤博文も、ハルピン駅での暗殺事件には、実際の死因は近寄ってきた安重根による銃創ではなく、駅舎の階上という別の位置から撃たれた他の何者かによる銃創だったとの状況証拠があり、組織的な背景があったのではないかという話を耳にします。安倍氏の非業な死に方と重なる何か不思議なものを感じさせます。


この弔辞に対してだけ、国葬儀では拍手が、外国人席から始まる形で沸き起こっていました。葬儀で拍手を経験した日本人はいないでしょう。これも何かを象徴しています。


●安倍元総理の思いにもつながっていた「松田プラン」

ここで以下、今度は、私の安倍氏への思いを少し述べますと…衆議院議員時代には、本会議、予算委員会、内閣委員会で、私は当時の安倍総理に対して何度も質疑に立ちました。


「新しい国づくり」と安倍総理はいつもおっしゃるが、その中身は何なのか、アベノミクスはもっとこんなふうに説明しないと理解されない、国家戦略特区法案の中身はスカスカだ、開発途上国型の外資依存ではなく日本の内需で成長することこそが本物の保守ではないか、マイナンバー制の導入でどんな未来の社会像が描かれるかを国民に具体的に示すべきだ…等々、野党の立場ではあっても、安倍総理を応援する趣旨の私の質問に対し、安倍総理は必ずしも十分ではありませんでしたが、真摯に答弁していたことを思い出します。


その後、私が衆議院議員ではなくなったあとも、安倍氏は私のことをよく憶えておられました。別の場所でお会いする度に「松田さん」と声をかけてくれたものです。


ある方のお話によると、今年の6月頃、某氏が私の「松田プラン」を安倍氏に伝えたところ、安倍氏は、「松田さんらしい案だ、これは乗れる」とおっしゃったそうです。


アベノミクスの第二の矢の機動的な財政政策は結局、財務省による縛りの中で発動できずじまいでした。これは安倍氏自らは本意ではなかった消費税率の二度にわたる引上げを、三党合意に縛られたまま行わざるを得なかったことだけではありません。経済対策や補正予算の度に財政出動をしても、それらは剰余金の活用や節約を主たる財源としており、真の景気刺激効果に繋がる国債発行額の顕著な増大を伴ったものではありませんでした。


日銀保有国債を政府発行のデジタル円に変換して市中に通貨として流通させる仕組みさえ用意すれば、国債残高が自然と減少していく出口への道筋ができるので、思い切った国債増発が可能になる。財政出動の問題は、現状では国債累増の問題。結局、財政の仕組みを変えてこの問題を克服するところまで踏み込まなければ、積極財政は実現しません。


あの理解が難しいと言われる「松田プラン」を、瞬時にそのように理解してくれた安倍氏は、さすがに7年8か月も総理大臣を経験されていた方だけあって、政策リテラシーが高かったのだと思います。私としても、いつか「松田プラン」を安倍氏に自分が直接、説明したいと思っていました。財政出動が十分にできずに悔しい思いをされているだろう安倍さんなら、きっと理解する。


そう思いながらも、その前に参政党が誕生しましたので、「松田プラン」を参政党の独自政策にすることにしたことで、ついにご説明の機会がないまま、安倍氏が亡くなられてしまった…そのことも悔やまれることです。


●安倍元総理が果たせなかった「新しい国づくり」を、これから担っていきたい

今回、国葬儀の生中継で、私は結構、テレビ画面に出ていたようです。それを見た党員の方から、このような場で最前列に座る松田さんのような重鎮を代表とする私たちは幸せだという声が出ていましたが、それは誤解です。これは、党員たちの努力で有権者から一定の支持を得たことで国政政党となった結果であり、私ではなく、党員たちがそのことに誇りを持ってほしい、私はそのような党員を代表したに過ぎない…そう伝えております。


メディアで報道されないなかでも、参院選で投票した有権者の30分の1の支持を得たということは、それ自体、決して無視してはいけない国民の声を代弁しているのが国政政党となった参政党です。国葬儀でも示されたそうした位置づけから日頃発せられるメッセージを、マスメディアもきちんと尊重することが、国民の知る権利に貢献する公平な報道というものではないでしょうか。


テレビで国葬儀をご覧になっていた安倍氏の後援会長から、こんなLineメッセージが入っていました。「テレビに貴殿が写っていました。嬉しかったです。貴殿の考えや思想は未来系で、頑張ってくださいね。応援させていただきます。」


積極財政だけではなく、憲法もそうです。左翼が形成してきた世論や公明党との妥協を強いられて「自衛隊を置く」となっている中途半端な自民党改憲案は、決して安倍氏の本意ではなかったでしょう。参政党は、日本国民の手で初めて憲法そのものを書く「創憲」を立場としていますが、これは、私が政治家として師事した石原慎太郎氏から安倍氏が受け継いでいた考え方でもあります。


党派を異にするとはいえ、ある意味、安倍氏が果たせなかった「新しい国づくり」を担うのが参政党なのだと思っています。


安倍晋三元総理のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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