top of page
  • 執筆者の写真松田学

安倍政権の迷走?と新型コロナの真実~楽観説と悲観説、どちらなのか?~

限定30万円が一律10万円に。政治的にはそうせざるを得ないと予想していましたが、やはりそうなりました。「不評3点」(マスク、30万円、動画)が言われる中で与党両党から言われての方針修正。補正予算を閣議決定の直後に差し替えるなど、あまり聞いたことがありませんが、「過ちては改むるに憚ること勿れ」か。官僚の無謬性神話の崩壊か。最近の安倍政権の少し首をひねる迷走ぶりは、緊急事態宣言の出し方についても指摘されています。


ただ、外出自粛とは、それで失われる富が二度と戻らないということ。日本も感染者が1万人を突破し、接触8割減が叫ばれていますが、さはさりながら、自粛はいつまでも続けられるものではありません。米国も経済活動再開へと動き始めました。ロックダウンを何度も繰り返さないと新型コロナは終息しないとの見方もあれば、そもそもただの「武漢風邪」、日本は直ちに自粛をやめるべきだという意見も…。何が科学的な真実なのか…。


●いまの金融政策のもとで国債の追加発行枠は60兆円もある…

前回のコラムで緊急経済対策は「緊急」の対策ではなくなったと指摘しましたが、家計への給付金は、どうせそうなるなら、最初から一律支給を決めたほうが財務省にとっても傷は浅かったかもしれません。全世帯の4分の1に30万円なら4兆円、これが全国民に一律10万円なら12兆円超と8兆円膨れ上がりますが、給料が減らずに自宅で仕事を「自粛」している公務員や大企業社員でも、家族4人なら40万円も…。あまりに「えいや」…?。


一律なら世帯当たり10万円か、一人当たり5万円か、まずは早く届けて、本当に困っている世帯には追加でのちほど支給すると、当初から仕切っておけば、現状よりも数兆円節約できたはず。財務省も政権も共々、政治や国民感情を見誤ったようです。


ただ、今回の緊急事態において、国債発行を数兆円渋ることにそもそもどんな意味があるのか?と思います。何としても国債発行額を抑えることが絶対的な使命の財務省にとっても、よく考えてみれば、いまの局面は国債を増発しても、経済や財政に弊害が起きる状況ではありません。なぜなら、アベノミクスのもとですでに7年も続けられているのが異次元の金融緩和政策。その流れで、増発された国債は日銀が買うだけのことだからです。金利は上がりませんし、2%インフレ目標に向けて日銀をサポートすることにもなります。


この7年で日銀が保有する国債は360兆円も増えています。年間で80兆円も国債を買っていた時もありますが、インフレ目標達成の目途は未だに立たず。現状では20兆円程度まで年間購入額は減っていますから、80兆円との差額の60兆円まで、国債増発の「枠」があるようなもの。そこまで買ってもインフレ高進の懸念など無い状態です。


米国では「戦時国債」との声も。現在の低金利状態では償還期限50年以上の超長期国債なら、将来の金利上昇で財政が悪化する懸念もないでしょう。こんなとき、もし、日銀保有国債を政府発行のデジタル円に転換する「松田プラン」を将来やると決めていてくれたなら、財務省も日銀も後顧の憂いなく危機対応の国債大量増発ができたのにと思います。


●緊急事態宣言の考え方そのものにも誤りが…

給付金一律10万円への朝令暮改を正当化するかのように、安倍総理は緊急事態宣言の対象を全国に拡大しましたが、宣言の法的根拠は新型インフルエンザ特措法。この民主党政権時に立法された法律の立法者の意思は、今回の宣言のしかたとは全く異なったものだったようです。大蔵省の同じ部屋で私の部下だったこともある衆議院議員の古川元久・国民民主党代表代行は、松田政策研究所チャンネルの私との対談で次のように述べています。


「新型インフルエンザ特措法は自分が官房副長官のときの法律。麻生政権のときに新型インフルが問題になり、次にこの感染症が広がったときにすぐ対応できるように、一定の場合に私権制限できるよう準備したもの。事務方は私権制限に躊躇したが、そういう法律であるがゆえに、平時に議論して準備すべきだと指示した。


諸外国と比べて措置が弱いとの批判があるが、やはり、日本の場合、私権制限は必要最小限にすべきもの。早い段階での意識喚起を行うのが、この法律の趣旨だった。今回、本当なら2月の段階でこの法律を適用して、宣言して危機感を共有すべきだった。


意識があれば日本人は強制しなくても対応する国民性だ。だからこそ、広く注意喚起をするのが、この法律の趣旨だった。目的はウォーニング。今回、もっと早く出していたなら、人々の行動はもっと変わったはず。立法者の意思はこういうときのためだった。習近平の訪日と東京オリパラを気にして対応が遅れた。法改正などしなくてもできた。


法律に基づいてなくても、北海道知事は緊急事態宣言を出していた。しかし、法治国家なら、法律のもとで各都道府県が対応し、国家として一体で動くべきもの。勝手に次々と緊急事態宣言を出すようではまずい。感染症は国全体での協力が必要。そういう意味での法律を用意していた。もし、これがなかったとしたら、どうなっていたか。逆に、有事なら外出禁止令へと走っていたかもしれない。有事の議論は平時にすべき。」


安倍政権の迷走は、緊急事態宣言のほうにもあるようです。もっと早く出せば、自粛期間も短くできたかもしれません。そもそも経済は、国民が働いて生み出す実体価値。国民が自粛で働かないと富を失い、のちに急に2倍も3倍も働けるわけではないので、その富は取り返せません。いま働かない分は全て、損失として国民にかぶってきます。自粛には日本経済の破壊が含まれます。政府がリアルマネーを出しても、お金では換えらません。


●<楽観論>日本はいますぐにも自粛を解除すべし…との説

やはり最大の対策は一日も早く自粛状態が終息できるようにすること。そのためには、そもそも新型コロナとは何なのかを科学的に見極めることが急務です。松田政策研究所チャンネルでもさまざまな有識者からの発信を続けていますが、その中で、これまで判明した事実にそのまま基づく見解だとして、科学者の武田邦彦先生が次のように述べています。


「今回のウィルスも最近、全容が分かってきた。その感染速度をグラフでラインを引いてみてみると、日本のラインは、欧州や武漢のように極めて高いレベルで感染が進んだ国々のラインよりもかなり低い位置にあり、しかも、後者の速度がマキシマムとなっている。


日本も、これ以上の速度にはならない。日本にある日突然、爆発的な感染が来ても、今の欧州の状態になるには一か月かかる。一日数百人の感染者数から、突然1万人になった時点で自粛に入るのでも、十分に間に合う。データはもうそろっており、予測が可能になっている。未知はもう過ぎて、既知になった。そこから判断すべきである。


日本の感染者数は圧倒的に少ないが、歴史的に欧州は黒死病の死者が多く、天然痘もひどかった。欧米は元来、衛生には関係のないナイル河の文化である。パリでは18世紀までゴミは路上に捨てていた。トイレもなかった。アンリ4世は生涯、一度もトイレに行かなかった。日本は衛生観念が違う。家に靴で上がらない。


昨年12月~今年1月にかけて、日本には中国人がたくさんいた。入国制限に失敗したと言われるが、それで免疫がついた。ウィルスなので免疫でしか感染は止められない。それはインフルエンザも同じである。感染の際、ウィルスはそのトゲで細胞に付着する。それを切る薬ができれば良いが、薬の発見は偶然によるもの。30年ぐらいかかる。


そもそもウィルスと人間とは共生系である。ウィルスは30億年前に地球に誕生し、人類は600万年前に誕生して以来、ウィルスを全て乗り切ってきた。


PCR検査は新型コロナウィルスの検出装置ではない。似たようなウィルスは全部検出してしまう。コロナウィルスの検査にはなるが、新型コロナの検査にはならない。


日本では毎年、冬になると10人に1人がインフルエンザに、10人に1人がそれ以外の風邪に罹る。医者がみて、大体これはインフルだろうなとカンで思うと、インフルと書く。今年はインフルは12月がいちばん多かった。ピークが来ると思ったら、正月には5分の1まで減った。コロナウィルスとインフルエンザウィルスとが話し合っているかのように、入れ替わっている。インフルもA型が流行るとB型が流行らないといったことがある。ウィルスどうしが空気中で情報交換している。


おかげで、毎年1万人のインフルの死亡者が今年は2千人ぐらいになる。『武漢風邪』に流行っていだたいて結構、そのおかげで8,000人の命が助かっている。


医療体制の問題については、患者数5,000人のうち重症者は150人というレベル。足りないはずがなく、お金の問題が大きい。感染症を引き受けることを病院はいやがる。1人引き受けると赤字になる。イタリアの死者について分析すると、ほとんどがコロナで死んでいない。それ以外が原因。しかし、医者がコロナと書く。そう書くとお金が高く出る。医療崩壊はお金で作られた。小池都知事が600床と言っていたのが800床、そして4,000床にもなった。


自粛の練習はもう十分にやった。もう、今日でやめて、曲線は出ているから、それに従って、何日で感染者が何人出たら自粛に戻るということを決めれば良い。欧州では急増していた20日間でも1日1,500人だった。日本でインフルが増える時は1日8万3千人であり、十分に耐えられる。そもそも日本と欧州は15倍も違うのであり、違うところの話をしても仕方ない。自分は民主主義の一員として政府の方針に従っているが、いまの東京にいてもコロナに感染するチャンスはないだろう。」


武田先生によれば、日本の問題は、かねてから感染症が予想されていたのに、準備ができていなかったこと。感染症で病院が赤字になる体質などがそうです。テレビが正しく情報を流していないことも問題視していました。当初、「コロナで感染者が40人も」と報道されると、特に台所仕事しながらテレビを見ている主婦の方には、アバウトにしか情報は入りません。本来は、「インフルで感染者40万人ですが、コロナは40人出ました」と報道すべきですし、「インフルの死者が減って」などとはテレビは流しません。


コロナ対策はテレビを見ないこと。かえってストレスになる…。一理ありそうです。


●<悲観論>ロックダウンをさらに2~3回繰り返す必要あり…との説

武田先生が新型コロナ楽観論だとすれば、私の長年の知人で、テレビでお馴染みのナビタスクリニックの久住英二医師は、冷徹な悲観論を述べていました。曰く…、

「どのぐらいのインパクトのある感染症かが最終的に分かるのは、人口動態統計で死亡者数と死亡原因が集計される1年半後。ただ、現実に、医療現場にはたくさんの肺炎患者が運ばれていて、集中治療室に…。これはふだん起きていなかったことである。


日本でPCR検査が少ないと批判されているが、もともとPCR検査には3つのボトルネックがある。①検査を誰にするか。②検査すると決まった時の検体採取。③検査機関のキャパシティ。日本は③のキャパシティが低かったので、肺炎で入院治療が必要な人に検査を限定せざるを得なかった。キャパを2万人ぐらいに上げると、今度は検体採取がネックになってきた。検体採取のキャパを増やす手段としてドライブスルー検体採取がある。いまは部屋でドクターが完全武装してやっている。一回ごとに防護服を換えるなどをしてきたので、非効率だった。ドライブスルーならそれが要らなくなる。


検査機関がネックだったのは、韓国はMers、台湾はSarsでコロナウィルスで痛い目に遭っていたので体制を拡充していたのに対し、日本は海を渡って入ってこないだろうという正常化バイアスが働いていたため。そのツケをいま、払わされている。


医療提供体制もそうだ。日本の医療機関は95%ベッドが埋まっていないと収益が上がらないので、引き受ける余裕がない。普段は遊休資産である検査・医療能力を備えとして温存すべきだ。平時は無駄だが、国民が許容すべき。それが教訓だ。多いとされる日本のベッド数も、慢性期病床など老人病院型が中心だった。集中治療のベッド数は人口当たりではイタリアよりも少ない。


人工呼吸は人手が要る。機械を回すスタッフも日本にはいない。マスクも足りない。国民へのマスク配布で400億を使うなら、サージカルマスクを10億枚買えた。それで院内感染は減らせるはずだ。


集団免疫は人口の60~70%が免疫を獲得した状態だが、そこに至るには、大きな流行がさらに2~3回必要だ。流行→ロックダウン→解放→流行→ロックダウンで、2年程度かかる。それを早める方法の一つがワクチンの開発だが、今から1年かかるか…。


ワクチンが開発されても、安全性や効果の検証などでうまくいく保証はない。そして、どの国に対して、誰に対して優先かが論点になってくる。日本が早く手に入れるためには、海外の製薬会社への資金援助が必要。それは1,000億円かかる。AMEDの総予算が4,000億円。日本の総予算の何分の1かが必要。そうしていくつかの有望な製薬会社にヘッジをかける。恐らくワクチン争奪戦になるだろう。日本は不利だ。


倫理も問われる。若い人や女性は重症化のリスクが低いから除外して良いものか。正解はない。人口呼吸器も、20歳台の人に使うか80歳台の人に使うかで、救命率が変わる。何歳から何歳の人に使うのかを現場に委ねているのは、現場には過大なストレスとなっている。政治でコンセンサスを作り、現場に責任がかからないようにすべきだ。


新型コロナ感染者の中で、無症状が半分。無症状は若い人や女性に多く、感染率も女性や子供は低い。無症状感染者の中で後日症状の出る人が5割。感染していない人も3割弱が症状を訴えるので、新型コロナに感染していても症状が出ている人は2割に過ぎない。無症状の感染者は想像以上に多いだろう。その人たちは自由に行動している。


陽性が出たが、無症状という人が家族に出たらどうするか。隔離が必要なのは、重症化しやすい高齢者。三世代同居だと高齢者がうつるとリスクになる。イタリアは大家族で、週末は皆で集まる。日本はドイツなどに比べて住宅事情は良くないが、核家族というメリットがある。元気な感染者でも、陽性反応が出たら、家族そろって2週間、家にいてほしい。一人陽性者が出たら、家族みんなが感染していると考えたほうがいい。


自粛の終息に必要な条件は、基本再生産数1未満を維持すること。社会が死んでしまわないように時々、ブレーキをゆるめながら、崖から落ちないようにスピードをコントロールしながら…ということになる。


極論すれば、リスクが低い若い人や女性はほっておき、高齢者が多く亡くなるのは仕方ないと割り切って耐え忍べば、高齢者人口が減って、女性や若者の人口比率が高まることで集団感染になる。アフリカは医療のキャパが無いので、それしか道はない。死者はたくさん出るが、流行は早く終わる。そういう社会を作るのがこのウィルスかも…。


死亡者が少ない状態で集団免疫にできるだけ早く達するためには、やはりワクチンなどの手段の開発が急務。日本のワクチン行政の大幅なリフォームが必要になる。」


以上、お二人の有識者に共通しているのは、いつ起こるかわからない感染症に対する危機対応のための体制整備において、日本は決定的に遅れていたという指摘でした。楽観、悲観、いずれが正しいか、専門家ではない私には責任ある断定はできません。


ただ、PCR検査の正確さを主張していた久住氏も、新型コロナと重症化との因果関係の立証は難しく、たまたま新型コロナを保菌していても、それとは別の原因で重症化している場合はあり得るとしています。もし、武田先生の言う「武漢風邪」論が本当に正しいなら、私たちの新型コロナに対する考え方も対策も、根本から変わるべきでしょう。


いま、我こそはと、政治家たちには有効なコロナ対策を競ってほしいもの。安倍政権が新型コロナで迷走しているなら、次の政権選択は、それで決めるべきなのかもしれません。

閲覧数:240回
bottom of page