参院選が終わりました。私が全国比例で出た参政党の選挙結果は、この全国比例で176万票を獲得。あともう少しの15万票で2議席だったのが惜しかったですが、それでも1議席を獲得しました。5人の比例候補のうち投票で個人名を最も多く書かれた神谷宗幣・参政党事務局長が当選。党としての比例での得票率が3.33%と、政党要件の2%を上回ったため、参政党は正式な国政政党になりました。これが最も大きな成果だったといえます。
選挙終盤に向けた勢いでは、少なくとも3議席獲得ともみられていたので、そこに届かなかったのは残念でしたが、政党要件を満たしていない政党として「諸派」扱いでしたので、大手メディアが報道で取り上げず、実際の熱量を多くの国民が共有できなかったことが大きいでしょう。参政党の存在すら未だに知らない国民が多数、いらっしゃいました。
今般、国政政党になったことで、選挙後、急にメディアが参政党のことを報道し始め、急に出てきた政党であるかのような印象も与えていますが、国民の間に広がってきた「参政党現象」は何か月も前から起こっていたものです。これでようやく、新聞やテレビしか見ない国民にも広く知られる政党になりましたので、すでに9万4千人(7月15日時点)の党員数を始め、党勢はさらに拡大していくものと期待されます。
投票で個人名が書かれた票数で決まる比例5人の順位は、結党時から党組織拡大の中心人物だった神谷氏がやはり一位、二位はテレビでもおなじみの著名人である武田邦彦先生、私はこれら二名にはかなわず三位でしたが、それでも8万4千票と、他党の比例候補者と比べても(組織票の自民党候補者は別として)、比較的多くの票を得ることができました(維新であれば上位当選者の票数)。お力をいただいた皆様には、心より御礼申し上げます。
ここでお知らせがあります。私はこのたび、参政党の代表(いわゆる党首)に就任し、7月15日の記者会見で発表されました。参議院議員に当選した神谷氏は副代表兼事務局長。今回のこの人事の背景には、元々、参政党が今回複数議席を取って、比例5人のうち何人かが参議院議員として役割を分担し合うことを想定していたこととも関係があります。この中で神谷氏には事務局長として、彼にしかできない党勢拡大の使命があり、私には国政の政策を担う役割が想定されてきました。
私としては、今後、国政公党の代表として、党員そして国民から寄せられる参政党への期待に応えるべく最善を尽くしてまいる所存です。
今回は、参院選での参政党の戦いを振り返りながら、国民の間に広がる「参政党現象」とは
何かについて、メディア報道は未だにピント外れですので、当事者である私が、その本質について述べてみたいと思います。
●選挙前から前代未聞続きだった参政党現象
「投票したい政党がないから自分たちで作ってみた」…これが2020年4月に参政党を結党したときのキャッチでした。当初は5人のボードメンバーで創った政党ですが、結党時のメンバーで今回の参院選に出たのは、神谷氏と私だけ。その後、党員向けの様々なスクールや議論の場づくり、情報提供や各支部での講演活動など党勢の拡大に務めてきましたが、これだけ早く全都道府県に支部を置く政党にまで発展するとは思いませんでした。
昨年12月22日に今回比例で出た5人(ゴレンジャー)の出馬表明の記者発表を行いましたが、その際、ターゲットとして今まで投票に行かなかった無党派層に食い込むと申し上げていたことを記憶しています。この春先からは、地方選挙区の公認作業を進めました。
選挙に向けた参政党の活動は、まさに前代未聞続きでした。まず、今年2月頃から始めた神谷、吉野両氏による全国キャラバンでは、いきなり駅頭で街頭演説をしてもすぐに人だかりに…。そのまま近くのタウンミーティングにどっと押し寄せて満席になるという現象が続きました。通りがかりの人々に演説内容が大きなインパクトを与えていたようです。
ちなみに、GW時に我々5人が新宿駅西口で行った街頭演説には1,400人が、横浜の桜木町では1,700人が集まりました。これは、他党のような動員はなく、事前告知だけで集まったものです。街頭で1,000人というのは、東京や大阪といった大都市部で何度も起こったこと。普通、国会議員の街頭演説といえば、党関係者以外の一般の方々は数十人、有名政治家でも10人程度というのはよくあることです。
そして、他党と同様の2万円のパーティー券で5月初旬に横浜で開催した政治資金パーティーには5,000人を超える人々が集まり、私も含め9人の論者たちが次々と講演を延々と6時間以上にわたって行ったのですが、大変なフィーバーぶりで、その人数も中身も、これまでの政治資金パーティーの常識を超えるものでした。この時からもう、本来なら大手メディアが注目すべきはずの国民運動になっていたといえるでしょう。
●国民の意思で全選挙区に候補を擁立、普通の国民が政治に携わり、選挙に出る
さらに、前代未聞は続きます。参政党は今回の参院選で、45の地方選挙区すべてに候補者を立てました。初めて国政選挙に挑戦する政党が全選挙区に立てるというのも、前例がないこと。しかも、多くの場合、党の公認を得るために候補者は党にお金を納めたりするものですが、参政党の場合は逆に、300万円の供託金を含め、選挙資金は党が出しました。
これは、ごく普通の国民が選挙に出ることを可能にするものです。しかし、そもそも参政党には何のバックもスポンサーも資金もありません。こうした選挙資金は全て、一般国民からの寄付で賄われました。数か月で数億円にのぼる寄付が参政党に集まりました。
つまり、全選挙区に候補者を立てたという快挙は、広く国民の意思によるサポートで成し遂げられたことになります。そして私たちは、国をなんとかしたいという志と意思さえあれば誰でも普通に選挙に出られる、候補者たちは何も弁舌がうまくなくてもよい、国への思いを心の底から有権者に訴えていけばよい、もう選挙が仕事の職業政治家はノーである、彼らには辞めてもらい、普通の国民が担う真の民主主義を創ろうと訴えました。
街頭活動では、橙色のTシャツを着た党員たちの動きも通行人の目を惹きました。いかにも政党関係者という雰囲気が全くなく、ごく普通の国民が真面目に真摯に日本を変えたいという熱意だけで動いている純粋な姿は、自ずと何かを人々に伝えていたのでしょう。
●相次いだ異例の規模の街頭演説会
選挙期間中の街頭演説は、比例のみならず、どの選挙区でも自民党を上回る人数が集まっていました。しかも、1時間半、皆さん、暑い中をじっと演説に聞き入る人々ばかりでした。演説後にはたいてい、活発な質疑応答の機会が持たれたものです。私も「松田プラン」を中心に、ずいぶんと質問を受けましたが、なかにはハイレベルな質問もありました。
私にとって選挙期間中の最大イベントは、なんと言っても7月2日の「大阪夏の陣」で私が岸田総理に勝利したことでした。先方は自民党が組織を使ってだいぶ前から動員をかけて1,000人、当方は前日夕方の告知だけで1,200人。台風によって沖縄入りを断念し、大阪でもう一日、街頭活動を行うこととしたことの怪我の功名かもしれません。先方は岸田総理が到着するなり「帰れ」コール、その後の拍手もまばら。当方は私のひと言ひと言に拍手と大歓声、街全体がうねっているような大熱量であり、壮観でした。
そして最終日の7月9日は、東京の芝公園での我々5人の街頭演説に集まった人々が1万人を超えました。これは選挙活動では前例のない規模でしょう。もはや選挙活動を超えて、国民運動です。歴史の教科書に出てくる写真のような、国民が立ち上がって歴史が動く瞬間というものはこのようなものなのか…。
●参政党はどのような層が支持したのか、支持が広がった背景とは…
では、参政党に投票した支持者たちはどのような層の国民なのか…。
よく言われていたのは、従来からの自民党支持者のうち、岸田総理では国家の危機に対処できないと感じる岩盤保守層の自民党離れでした。事実、あちこちで、自分は自民党員だが、今回は参政党に入れると打ち明ける声に接したものです。そうした層が二割ほどいて、比例では参政党に票が回るという危機感が自民党保守派筋からも表明されていました。
しかし、投票日前々日の安倍元総理狙撃事件で、この流れは鈍った可能性があります。それも期待ほどの票が比例で集まらなかった原因かもしれませんが、参政党の躍進は、むしろ、これまでの政界にはなかった新しい風を巻き起こしていたことによるものでしょう。以下、支持層ごとに、参政党の何が新しかったのかを述べてみたいと思います。
まず、今回参政党が試みたのは、ベンチャー政党として初めての本格的ネット選挙でした。前記の街頭演説は多数のユーチューバーたちがネットで拡散し、これを通じて、メディアや既成政党が言っていない本当のことをズバリ言っている政党だという認識がネットユーザーたちの間に急速に広がっていったことが、全国各地で街頭や集会に多数の人々が集い、フィーバーを生み出す契機になったことは間違いありません。
ネットといえば、そのユーザーは若年世代中心というイメージがあります。確かに、各種調査でも若年層の参政党への支持率は他の主要政党と比べても有数のランキングでした。しかし、私の肌感覚では、支持者は決して若者世代中心とは言えないように思います。
各地の支部を回っても、日本国家の行く末を心配し、このままでは子供たちに良い日本を残せないという危機感を我が事のように真摯に表明するお母さんたちや普通の主婦たちが参政党に加わり、その活動を担っている光景がみられました。
お母さんたちといえば、参政党は教育と健康で主婦層の心をつかんだ面があります。子どもたちの特性に応じた教育システムを訴えたり、健康の源は食であることなど東洋医学の知見から生活習慣をどうすれば良いのか、心の持ち方なども含め、まるで健康な生活づくり講演会のような街頭演説も多々ありました。聞いているだけでためになる…。
他方で、参政党への支持が広がった背景として、メディア報道に疑問を感じる各層の人々が参政党に強い関心を持ったということも大きいでしょう。特に新型コロナ騒動を契機に、メディア報道や政府の言っていることが実感と異なると感じた国民各層に、一種の「気付き」を与えたということも、新型コロナの真実やワクチンに対する慎重論を強く唱え続ける参政党に支持が集まった一因になりました。
間違ったコロナ情報で有害なワクチン接種へと追い込まれていく…その背景にあるのはグローバル製薬利権…コロナに限らず、日本経済の停滞や海外勢による土地や企業の買収などの現象の背景にはグローバリズムや中国勢があり、これに対抗して自由社会を守る国民国家を明確に掲げる参政党が多くの国民の間に共鳴の輪を広げることにもなりました。
私がお世話になっている経済界の年配者からも、ユーチューブなどをご覧になって、「いいこと言っているねえ」という声が寄せられていました。世の中の裏表を知り尽くした方々が、それぞれのご経験から抱いてきた色々な思いを、まさに我々5人がそれぞれ代弁していたようです。胸のすく思いをしたという言葉もずいぶんといただきました。
●日本人のDNAに響いた…高齢世代も、子どもたちも
選挙後、倫理法人会の某幹部の方が、こんなことを述懐していました。「人の生き方を問いかける参政党の演説が、まさに日本人のDNAに響いたんですよ。」ここに参政党現象の本質があるのかもしれません。政治とは本来、哲学でなければならないはずです。確かに、哲学を説く政党など、戦後の日本で聞いたこともないでしょう。このことが世代を超えた参政党への支持につながった面は否定できません。
事実、高齢世代からの支持も相当程度いただいていたと思います。ある92歳の男性が、暑い中を私の街頭演説を1時間余りもお聞きになって、その後の質疑応答タイムで、私が申し上げた歴史認識の問題に関して、「全くその通りだ。年齢からして自分にとってはこれが最後の投票になるかもしれないが、ようやく投票したい政党が生まれた。」…大東亜戦争の真実を知る世代の方々にも私たちの言葉は響いたようです。
私の街頭をたまたま通りがかりで聞いたおばあさんの言葉…「ほかの政党は社会保障とかいろいろと言うけれど、まずは国家よね。国がしっかりしないと社会保障も何もあったものではない。」人々の抱く根本的な懸念に私たちがズバリ応えていたのかもしれません。
高齢世代だけではありません。まだ選挙権のない子どもたちの間にも参政党は浸透していました。街頭演説には子連れで訪れてくれた方も多く、演説後、見知らぬ子どもから、よく、子どもの字の自筆の手紙を受け取ったものです。ここで二例、ご紹介しますと…
「私は小学校四年生です。いつも私たちのために努力してくださってありがとうございます。松田先生の演説をYoutubeでいつも見ていますが、いつ聞いても、とても感動します。私はまだ9才で選挙権がありません。なので母と選挙に行きたいと思います。私が18才になるころには、松田先生たちのおかげで、きっと大和魂のある国民がたくさんいると思います。」
「ぼくは小学校四年生です。いつもぼくたちの未来のために活動していただきありがとうございます!!!!みなさんはいままで、ぼくたちの祖先が守ってきた大切な日本をがんばって復活させようとしていますね!!ぼくたちは演説をYoutubeを通していつも見ています。ぼくたちはいつも見るたびに大もり上がりしたり感動しています!!次の世代はぼくたちが繋いでいきます。あっとう的な力で選挙に当選してください。『心を燃やせ、限界を超えろ』」
こうした手紙を受け取ると嬉しくなるものです。いちばん分かっているのは子どもたちではないか。それだけで私たちの活動には成果があった…思わず、手紙の写真をいくつか、ツィッターで流したのですが、同じように手紙を受け取ってツイッターで流していた神谷氏のところには、「どうせ、やらせだろ、子どもを票集めに使うなど、きたない」などという心無い書き込みもあったようです。大人たちはなんとけがれていることか…
私は選挙期間中、ペット?として必ず、街頭演説にはマナティーの縫いぐるみを持参し、演説の前に皆さまにお示しし、私自身も「マナピー」の愛称で親しまれていました。子どもたちからは、マナティーの絵を描いてくれた手紙もずいぶんと受け取りました。「マナピー」は子どもたちに夢も与えていたようです。
今回、落選して私自身、何が悔しかったかといえば、子どもたちの期待に選挙では応えられなかったことです。参政党の代表として次の世代のために何を築くことができるか、党首となればマスメディアに露出する機会も出てくることも増えることと思いますが、いただいた期待に応えられるよう、全力を挙げて取り組む所存です。
今回は「参政党現象」に関して、私が実際に体験した現象面を中心に記述いたしましたが、次回は、参政党の何が支持を広げてきたのか、党の政策などにも触れながら、さらにこの現象の深層について述べてみたいと思います。
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