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  • 執筆者の写真松田学

アフターコロナのもっと大きな危機~今こそ松田プラン(MMP)と日本新秩序の出番~

現在は新型コロナの世界的な危機…誰もがそう思っていると思いますが、実は、今回のコロナのあとにもっと大きな危機が来る…。感染症については今回「世界の謎」となったがゆえの危うさが日本にはありますし、経済は回復どころか、日本も世界経済もいずれ、破綻への危機を内包するに至っています。かなり大きな政治決断が必要になるでしょう。


世界をみると、ポストコロナはニューノーマルではなく、アブノーマル…?米国での暴動や中国の香港国家安全維持法など、地球社会の大騒擾を感じさせるニュースが飛び込んでくる毎日ですが、いまは新しい世界秩序への移行期。見方によっては、それを提示する役割を担うのは欧米ではなく日本かもしれません。いよいよ「日本新秩序」の時代到来か。


次なる感染症へ、日本の危機は「ファクター

また感染者数が増えた…連日のように報道されるニュースですが、活動を再開すれば感染者数は増えるに決まっています。日本での死者はほとんどが高齢者(その大半が80歳代以上)、現時点での重症者数は30人程度であり、むしろ若者世代で感染が拡大したほうが新型コロナに対する社会の耐力は増します。当面は若者をいかに高齢者と遮断するか…。全員でコロナを怖がるのではなく、ポイントを押さえた対策への重点化が必要でしょう。


私が指摘したい日本の危機とは「第二波」のことではありません。「ファクターX」、すなわち、京大の上久保靖彦・特定教授が安倍総理に説明したように、日本が集団免疫状態にあることに、メディアも学界主流も行政も正面から向き合わないでいることです。人口当たり死者数が欧米の100分の1であるのは、Xというより「ファクターK」、つまり「神風」のようなもの。たまたま東アジア特有の(自然)免疫が、白人たちからみれば「世界の謎」状態を日本にもたらしたのであり、この「謎」を国民性や衛生習慣などの「日本モデル」だと誇っているようでは、次なる感染症の襲来で日本はイチコロになりかねません。


「謎」を謎ではなくすべく、私としても呼びかけを強化してまいりますが、日本としてはせっかくの神風を活用して、国民の「コロナ脳」からの脱却を図り、独自に国内の経済、文化活動を一日も早く本格回復させるとともに、今回、決して機能していなかった危機管理の組み立てを早急に進め、アフターコロナの感染症に備えるべきでしょう。次々と危険なウィルスが生み出されやすい状況を地球全体の気候変動がもたらしていると言われます。


●史上初の経済危機…どこかで必要なパラダイムシフトへの政治決断

もう一つの危機は経済。新型コロナの前の昨年から、世界的な景気後退が起こっていました。当時から世界経済のリスクとされていた米中貿易摩擦やサプライチェーンの分断、債券バブルとも称される過剰債務の問題は、コロナで一層、深刻化しています。たとえワクチンの開発で人為的な集団免疫状態が早期に達成されたとしても、アフターコロナの時点での自律的回復力が経済にあるのかは大きな疑問です。


「次の危機はまた別の顔で来る」と言われてきましたが、今回の経済危機は、これまで全くなかった顔の危機。経済のマクロバランスの崩壊や、リーマンのような世界的につながるマーケットが起こした金融危機とは異なり、「周りの人が感染し、自分も…」という一人一人の心理がもたらす社会心理的な要因で、マクロより安定的だった個人の消費が打撃を受けた危機です。過去の対策は通用しません。ソーシャルセンチメントをどうするか…。


しかも、経済を止めるという初めての事態で最も影響を受けるのが、低賃金部門であるサービス産業。ここのエコノミクスが「新常態」では成立しないことの社会的な影響は極めて大きい。リモート化が進めば「デジタルデバイド」の問題も先鋭化、逆にGAFAのような部門はコロナで成長しています。全体として格差拡大の問題が深刻化するでしょう。


しかも、感染症の危機は全員にとって終わらないと誰にとっても終わらない危機…。当面、活動再開で経済指標が前期比ベースではブラスになっても、そのレベルはものすごく低く、回復に入ってもゆるやかで、年末から年明けにかけては二番底との予想もあります。元に戻るには数年はかかるでしょう。リーマンのときも6年以上を要しました。加えて、人口構成の変動や気候変動など、先送りされてきた構造的なチャレンジがより一層、迫られるようになりました。人々の行動様式が変わり、戻った状態は風景の違う世界に…。


リーマン時の5倍もの1,000兆円を超える財政金融政策が打たれ、お金はどこに行ったかといえば株式市場ですが、これは続きません。マネーを利用できる人たちと利用できない人たちの間でもソーシャルデバイドが拡大し、社会の分断がさらに進んで、サステナビリティ(持続可能性)の限界に直面する可能性があります。とりわけ、過去にない規模の財政出動の負担が、来年以降、反動リスクとなって顕在化する可能性が指摘されています。


今回の問題は、企業の売り上げも消費者の所得も瞬間蒸発し、そこに対応したのが財政と金融政策だったこと。その行き着く先は、国有化と公務員化…どこかで限界です。しかも、ばら撒かれたマネーは現状の「維持」だけで、景気をよくする「改善」ではありません。いつやめるか、やめられるのかの問題であり、そのときの倒産と生活破綻に、見て見ぬ振りができるのか?将来を見通せないのに、当面の措置でもたせながら改善を期待しているわけですが、政策と、その結果としての「改善」との間に、リンケージがありません。


そうでなくても、日本はアントレプレナーシップに欠けた絶望的なまでの「白色矮星」経済。今般、7,500億ユーロの巨額のコロナ復興基金を構築するEUが掲げているのは、地球と調和する社会への「グリーンリカバリー」。経済回復を大きな構想の中に入れ込む発想が日本にも必要です。日本は世界ダントツ一位の対外純資産国。考えようによっては、できることはたくさんあるはず。閉塞感を打破し、若い人も投票に向かうような魅力的で現実的な構想を提示できる真の政治家が誕生できるかどうかが、日本には問われています。


●危機回避のためにどうしても必要になるのが「松田プラン」(MM

いずれにしても、今回の経済危機が自然体で出口に向かうのは難しく、政治的な決断が最終的に必要になるでしょう。次世代に対する持続性への政治的チェンジが問われ、そこにパラダイムシフトが起きるかもしれません。


その一環として考えるべき問題として、今般、日本で増発された100兆円の国債の問題があります。それは日銀の無制限の国債購入方針で、いったん日銀のバランスシートの中に閉じ込められますが、将来これが経済破綻を導くことを論じる人はあまりいません。


国債購入で肥大化した中央銀行のバランスシートは、日銀当座預金という、銀行に対する莫大な無利子負債の存在を意味します。これは銀行からみれば、超低金利資産が莫大に積みあがっている状態です。日本がめざしているインフレ率2%目標が達成されたとき、確実に起こるのが金利の上昇。このとき、日銀当座預金の金利をどうするのか…、それによって、保有資産の大半が超低利の国債の日銀か、資産の多くが日銀当座預金の市中銀行か、いずれかでバランスシートのつじつまが合わなくなり、破綻が起こります。


また、日銀が本年、大量に購入する国債も、いずれ10年後?に満期が来て大量の借換債が発行されます。そのときに経済が正常化していれば、急激な金利上昇が起こって、かつての欧州債務危機を上回る経済破綻が生じかねません。その時点でも依然として現在のような異常な国債大量購入と超低金利が続いていたとすれば、それはそれで大問題…。


こうしたさまざまな二律背反をアウフヘーベンできるのは、日銀保有国債を市中からの需要に応じて便利な政府発行「デジタル円」に変換、流通させて、肥大化したバランスシートを自然に縮小させる「松田プラン」しかありません。中身の理解が難しい本プランに対し、参政党の皆さんが最近、親しみやすいネーミングをしてくれました。それが、MMT(現代貨幣理論)を超えるという意味も込めた「MMP」(Matsuda Manabu Plan)…!


ポストコロナは新常態(ニューノーマル)ではなくアブノーマル?

ここで海外に目を転じ、松田政策研究所チャンネルで西村幸祐氏が喝破した、現在の世界の読み方を私の言葉でご紹介したいと思います。


まず、米国での黒人に関する暴動には、2つの要素があります。1つは米国社会が病んでいること。その実像が「武漢ウイルス」でみえるようになり、ロックダウンでの鬱屈していた絶望的な心情が何かの拍子に爆発し、黒人差別とは違ったところで暴徒化しました。


これは1968年に、世界中の先進国が「新左翼」で席巻された状況と似ています。日本では日本中の大学が全共闘によって占拠されました。サルトルが煽ったラディカルなニューレフトの実態は反知性主義。それが米国ではコロナで抑圧された感情と結びついたようです。ここ数年の米国のポリティカルコレクトネス(マイノリティ保護などの政治的正義の押し付け)も、ノーマルな世界観ではないものとの結びつきに一役買ったようです。


西村氏によれば、これは共産主義イデオロギーが自由市場主義に負け、民主主義が勝ったとした1989年のフランシス・フクヤマの「歴史の終焉」が間違っていたということ…。


カミユの小説「ペスト」では、ペスト菌の制圧で、いまのイタリアのようにロックダウン解除の喜びの姿のなか、とんでもない、ペスト菌はまだ生きている、将来、ネズミが撒く…、そのペストとは全体主義であり、理性を失わせる同調圧力のまがまがしい力です。


フクヤマが終わったという共産党イデオロギーがウィルスのように、世界に残っている。それがポスト武漢ウィルスの世界に噴出してきた「アンティファ」という言葉でまとめられる過激なアナーキズム。その扇動に乗って、ピラミッドも大勢の奴隷を使った建造物だから歴史的な遺跡として残してはいけない…こうした反理性主義の台頭は、ちょうど中国で文化大革命が盛んになったときと同じ光景ともいえます。


つまり、2つの要素とは、①ロックダウンのはけ口、②アンティファの動きを中国共産党が操っていること…。


今世紀初頭にパトリック・ブキャナンが著書「病むアメリカ、滅びゆく西洋」で記したとおり、「米国が死んだ」…。そこでは、WASPによる統治が崩れ、米国社会が変質、WASP以外の民族が米国を牛耳ると指摘されていました。まさに、トランプが大統領に当選した背景にある白人中間層の危機感。EUが行き詰まったのも移民問題でした。いまは歴史が大きく動く過渡期にみられる混乱であり、これは世界に共通の現象といえます。


ここで現出しているのが、80年前の中共やソ連のコミンテルンと相似形の動きであり、80年前のウォール街のグローバリストとルーズベルトとコミンテルンとのつながりが、日本を戦争に引き込んでいった歴史を想起させるものがあると西村氏は指摘しています。その遠因は1930年代の世界的な恐慌であり、今回のコロナではこれがこれから来る…。中共が息を吹き返す…。南シナ海や香港問題にもみられる最近の中国の動きは、その走りか…。


●「歴史の終焉」から「歴史の始まり」へ…世界が求める「日本新秩序」

時代が大きく変転するなかで、日本はどうするのか…。残念ながら、日本でも反知性主義が跋扈しているようです。日本の論壇やジャーナリズムの代表的な存在としての朝日新聞や毎日新聞の劣化が指摘されています。新型コロナも、第一波を抑えにかかっている現状にあって、世界中が日本に注目しているのに、なぜ日本が成功しているのかを客観的に評価するマスコミが一つもなく、「アベノマスク」批判に終始しているのもそうでしょう。根拠なきレッテル貼りが横行していますが、日本人はそんなに馬鹿ではないはず。

以下、西村氏の言葉で続けますと…


『「歴史の終わり」ではなく、その31年後に「歴史の始まり」という本が必要。日本がそれを言えばよいはずだが、安倍政権にはそれができない。その弱点を批判できるジャーナリズムも野党もなく、閉塞状態になり、劣化が進んでいる…。これが安倍政権を衰えさせる原因にもなっている。議論できる敵を育てなかったことが安倍政権の失敗…。


米国は病んで衰退するアメリカであり、トランプの必然性は、それに歯止めをかけることだった。これは追い詰められたもの。片や欧州は、20世紀の初めにシュペングラーが「西洋の没落」を著し、その後にナチスが台頭し、世界大戦に…。こうみてくると、欧米が世界の新秩序を創るのはかなり難しい。


ここで日本が新秩序を創り、彼らに指し示すべきではないか。それは中国共産党の徹底的な排除を前提として、言論や思考の自由を唱道するものであり、そのために、覇権主義ではない新しい秩序の形成を日本は言うべきである。これは80年来、日本が言ってきたこと。「八紘一宇」…世界はみな兄弟、「五族共和」…異なる民族が協調して国を創っていく。


日本が打ち出していたそれらのテーゼが理念として間違っていなかったことを冷静に考えるべきではないか。これは欧米の覇権主義とは全く異質のものであり、他者のために一生懸命活動するという考え方である。こうした日本の立ち位置を、今こそ打ち出すべき。本来ならオピニョンリーダーやメディアがやるべきことなのに、できていない。


国際連盟の当時、日本が打ち出したのが人種差別撤廃だった。米国はそれを受け入れられなかった。黒人暴動を起こしている米国に対して、日本だから訴えられる。100年前に人種差別撤廃宣言を出した日本のことをよく聞くように…、と。』


西村氏はこうして、日本の役割が今こそ問われてきているのであり、アフターコロナとは日本が最も活躍すべきときであると述べていますが、これは私が政治理念として唱え続けてきた「日本新秩序」とも重なる世界観だと思います。


日本民族には世界の課題解決で新しい秩序を創り上げる歴史的使命がある…。3・11の悲惨な光景を前に、神の啓示のように私の脳裏に浮かんだ理念が「日本新秩序」でした。新型コロナがこの状況をさらに強めていることを契機に、いよいよ、日本がその使命を果たせる政治づくりが喫緊の課題だと考えています。

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