日本政府が中国に対し、香港の国家安全法制につき「深い憂慮」を表明しました。生ぬるいとの声もありますが、外交の世界ではかなり厳しい表現だとのこと。先週、新型コロナに関して日本政府が発表した2つの決定も、「深い憂慮」を感じさせるものがあります。
一つは、25日にようやく漕ぎつけた緊急事態宣言の解除。コロナが人々の脳まで冒してしまった?状態からの脱却は容易なことではなさそうです。戦いはまさにこれから。
もう一つは、27日に閣議決定された第二次の補正予算と政策パッケージ。憂慮されるのは、第一次と併せ100兆円になる国債の追加発行ではありません。ときの政権が私の「松田プラン」さえ採用すれば大丈夫。問題は、果たして意味あるタイミングで実施できるか?
悔しいことかもしれませんが、ことITの社会基盤化では日本は韓国に比べても泣きたくなるほどお粗末な状況です。マイナンバーを徹底すればどうなるのか、ここでは韓国の事例にも触れながら、日本の「社会再構築」のあり方を考えてみたいと思います。
●敵は我らの「コロナ脳」にあり
緊急事態宣言を解除する記者会見で安倍総理は、「日本モデル」の力を強調しました。
前々回の本コラム欄で私の同級生で東大医学部卒の現場内科臨床の名医A氏が安倍総理に代わって寄せてくれたメッセージをご紹介しましたが、そのポイントは、「人類と微生物との関係は感染症との闘いと共存共栄(接触による免疫獲得を含む)の歴史」であり、「解除に伴い、感染者数の軽度の反跳は予想されるが、これは冷静に受け止めつつ、総合的な判断に基づいた日本国の活力回復に努められる事を願いたい」と、国民の活動再開を鼓舞しようとするものでした。
この観点から安倍総理の今回の会見をみてみると、「目指すは新たな日常をつくり上げること」を掲げ、「あらゆる活動を感染防止対策を講じることを大前提に本格的に再開していく」とし、「感染リスクをコントロールしながらどうすれば実施できるかという発想が重要だ」としていること、ガイドラインは「新たな日常をつくり上げる道しるべ」であり、「私たちの身の回りにウイルスは確実に存在する」との認識を明示した上で、「事業と雇用はなんとしても守り抜いていく」、「経済再生こそがこれからも安倍政権の一丁目一番地だ」と明言している点では、A氏の趣旨を体現するメッセージにはなっていると思います。
恐らく、前回の本コラム欄で触れた小川榮太郎さんのような、専門家会議とは異なる「専門外」の方からの強力な働きかけが奏功したのでしょう。ただ、「日本ならではのやり方で、わずか1カ月半で今回の流行をほぼ収束させることができた」と、安倍総理が言う「日本モデル」とはいったい何だったのか?人口当たり死者数が欧米の数百分の一にとどまっている理由は、小川さんが総理に進言した京大の上久保氏の言う集団免疫、あるいはA氏が指摘する「他国と異なる軽症ウィルス種が主流である可能性or固有の免疫保有状態」といった国民に内在する疫学的な要因であって、少なくとも政府の施策ではありません。
もし、日本政府が危機管理の要諦を踏まえ、2月の初動の段階で緊急事態宣言を行い、状況をみながら規制を順次緩和して早々と活動再開に至れたのであれば、収束の要因が別であっても、一応「日本モデル」と誇れたでしょう。しかし、日本政府の対応は世界の「モデル」どころか、むしろ「反面教師」ともいえる場当たり的で非科学的な右往左往でした。
法的強制を伴わずとも「自粛」に協力した日本の国民性のことを総理は言いたいのかもしれませんが、逆に、その曖昧さが日本人の頭のなかに過度な「自粛」マインドを刷り込み、相互監視的な「空気」まで生んで、宣言解除後の動きに見えない重石を残してしまったようです。高校野球もそうだと思いますが、責任回避のため、やろうと思えば工夫を凝らすことでやれないことのないはずの活動やイベントまでもが中止に・・・。
外出制限は簡単です。これとは本質的に異なる「行動制限」の目的は「行動の自由」。だからこそ難しい。行動の自由のためにこそ、疫学的な意味が必ずしも明確ではない感染者の統計数字が再び上昇することで、安全をとって責任をとりたくない専門家〇〇会議が、これも疫学的根拠が不明な外出自粛に戻す決定をしないよう、一定の行動を制限する。
行動制限がこうした本来の趣旨で成果をあげるために必要なのは、国民も「専門家」もイベントの主催者も施設等の運営者も・・・みんなが染まった「コロナ脳」からの脱却です。
●いったい何のための?無様になった経済対策
もう一つの深い憂慮が、政府が決めた新型コロナの経済対策パッケージ。今回の第二次対策も、第一次と奇しくも同じ117.1兆円、両者併せて234.2兆円と、日本の名目GDP545兆円の4割を超える巨額な事業規模の数字が、またも踊っています。
以下、今回の第二次の数字の内訳をみると(以下、〈 〉内は4月20日に決定された第一次の数字、[→ ]で示すのは一次と二次の合計値)、予算だけでなく融資や出資といった財政投融資を含む「財政支出」は72.7兆円<48.4兆円>[→121.1兆円]、うち財源が全額、新規国債発行で賄われ、国が「やりっぱなし」の無償資金を支出するという意味で「真水」とされる補正予算の規模は31.9兆円<25.7兆円>[→57.6兆円]、国債の追加発行額は64.7兆円 <35.1兆円>[→99.8兆円]・・・つまりコロナ関係で増える国債は約100兆円です。
結果として、今年度予算は102.7兆円から160.3兆円へと膨らみ、これを賄う新規国債発行額は32.6兆円から90.2兆円へと57.6兆円増え、歳入の6割近くを国債が占めることになります。年間の国債発行額は新規国債と借換債と財投債(財政投融資の財源)などから成りますが、今年度は153.5兆円から253.3兆円へと増え、増加額約100兆円のうち、将来の税負担で返す新規国債は約58兆円、残りは貸付の返済金で返す財投債42兆円です。
私が「憂慮」しているのは国債が増えることではありません。日銀は無制限に国債を買う方針なので、国債が100兆円増えてもそれは日銀のバランスシートに封じ込められます。国債返済の負担を懸念する声が上がり始めましたが、すでに当初予算の段階で、税金で返す普通国債の発行残高は今年度末の見込みで906兆円だったのが、58兆円増えるだけのこと。日本は世界で唯一、60年償還ルールが営まれている国ですから、毎年度の元金の返済負担は今年度当初予算の14.9兆円から58兆円の60分の1である1兆円弱増えるだけ。
金利負担も現在は異常なゼロ金利状態。将来、金利が上昇すれば高金利の借換債の金利負担の問題が生じますが、そこは、これだけ大量の国債を日銀が保有してくれたのですから、「松田プラン」でマイナンバーと結びついた便利な「デジタル円」を政府が発行して、国債の貨幣化を民間の需要に応じて進めれば、インフレを招くことなく国債は消滅します。
対策の問題は、その実行面にあります。もうすでに緊急事態宣言は解除されたのに、多くの家庭にアベノマスクは未だ届かず、第一次の対策で措置された給付金もほとんどの家庭に入金されていません。金融機関も関係機関も市町村も、予算や財政投融資で措置された事業者や家計に向けたマネーの配布や融資の審査などの手続きでてんやわんや、「三密」状態のドタバタです。タイミングを失して廃業、倒産、失業、店じまいも多出・・・。経済基盤だけでなく、価値創出の破壊まで進んでいます。
第二次パッケージの目玉は色々とあります。例えば、いくら無利子無担保でも、融資であっては、多くの事業者にとってそもそも返済ができません。今回は、劣後ローンを始め資本性の強い資金投入措置が入ったことは高く評価できます。しかしこれも、審査手続きの人員体制がとても追いつかないと、早速、現場からは悲鳴が上がっているとのこと。
これではせっかくの財政負担のありがたみも効果も半減、何のための対策?何をやっているのか…?安倍総理も前述の会見で、「10万円給付の遅れはIT化など十分に進んでいない点がある。例えばマイナンバーカードと銀行口座が結びついていれば、スピード感を持って対応できた。真剣に反省しなければならない。」と素直に認めざるを得ませんでした。どの国も決して真似したくない無様な「日本モデル」ではないでしょうか。
●新型コロナ対策の世界の「モデル」の一つは韓国の個人番号制度
最近の韓国は、特に日本の保守派からは嘲笑の対象であり続けていましたが、こと新型コロナへの対応では、あまり認めたくはないことでしょうが、日本のほうがかなりお粗末な恥ずかしい状況・・・。それはPCR検査のことでは決してありません。むしろ韓国では検査のやり過ぎで擬陽性の人まで入院させ、医療崩壊の原因にもなっていたものです。日本で無様なのは、まさにマイナンバー制度。これは感染症対策と給付金支給の両面にわたっていえることです。欧米諸国と比べても日本はいったい、今まで何をやってきたのか…?!
歴史家・評論家として著名な八幡和郎氏が松田政策研究所チャンネルで述べたところによると、韓国が世界的にも新型コロナの抑制に成功してきた国となった最大の要因は、同国の徹底した個人番号制度です。例えば、日本でも帰国者を成田空港で待機させましたが、逃げた人もいたのに対し、韓国は帰国時に登録した場所から動かないよう、スマホにアプリを入れて居場所を管理、クレジットカードもマイナンバーと紐づけられ、街の中に出ていくとピーピー、無視すると刑務所行き、これで第二派を完全に封じ込めたそうです。
現在では韓国でも、心配だから、という人にはPCR検査はしておらず、感染者と接触した人に絞るようになっていますが、それができるのもIT管理と個人番号制の威力。
以下は八幡氏による解説ですが、かつて1968年に青瓦台への襲撃事件があった際に、北朝鮮の兵隊がソウルに侵入、そこで韓国で徹底されたのが住民登録証。欧州もそうですが、カード保持は義務です。スウェーデンのように持っていないと処罰される欧州諸国もあります。写真や指紋、簡単に出生地や国籍も分かる番号が記載されている韓国版マイナンバーカードに紐付けられるものは・・・、
・・・全ての指の指紋、パスポート、出入国記録、クレジットカード(利用店情報を含む)、医療保険、診察券、お薬手帳、健康診断、国民年金、住民票、戸籍、徴兵の記録、運転免許証、自動車登録、不動産登記、所得、納税、福祉制度の利用、銀行口座、携帯電話(位置情報を含む)、インターネットの契約と接続、有料放送加入、高校・大学の出欠確認・成績証明・卒業証明・・・、ほとんどありとあらゆる個人情報です。
キャッシュレスの比率が90%以上の韓国では、どこで何を買ったか全部わかりますし、どこに行ったかわかるので浮気もできない?ほど・・・。診察券など個別の病院にはなく、視力を測っていれば運転免許証更新手続きは不要。しかも、プッシュ型であり、あなたはこれを申請できるんではないですかと知らせてくれるし、税金の過払いなどは申請しなくても自動的に振り込まれたりする、誰かが死亡すると遺産の一覧表が来て、あなたの取り分と相続税はいくらとの通知が来る・・・。
韓国だけではありません。私が衆議院議員として視察した欧州諸国でも、税金の確定申告は5分で済む、政府が税額計算をしてくれるので、あとはサインするだけ・・・。毎年、確定申告で大変な思いをする日本とは大違い。個人の健康情報が個人番号と結びついているため、病院間での情報共有で安心と効率を実現している国など、ごく当たり前です。
●日本のマイナンバーは韓国に見習うべきなのか・・・せめて最低限の社会基盤化を
日本で2016年から施行されたマイナンバー制度は、国民の反発を恐れて納税、社会保険、防災の3分野に限定し、「小さく生んで大きく育てる」形で導入されたもの。対象は韓国のほんの一部に過ぎません。日本では外国人居住者がマイナンバー拡大に反対してきたようですが、その母国ではここまで徹底。では、日本では前記のうちどこまで入れるのか…?
私自身は世界に冠たるアナログ国家の日本がそこまでできるとは思いませんが、八幡氏は、思い切って韓国の制度をすっぽり入れてはどうかと提案しています。韓国ではマスクも医療関係システムと連動しており、その活用で一週間に2枚をきれいに配ったとのこと。同国でもプライバシーの問題が出て、匿名性を高めるなどの改善はなされているようですが、原則として韓国のまま入れるとしても、これはやめようというのは入れなければよいのであり、いまがチャンス。日本はここでやるしかない・・・八幡氏のご意見です。
いずれにせよ、日本も最初から「大きく」が理想だったはずです。現在の最大の欠陥は、口座とリンクしていないこと。それでどれだけ酷いことになるか、今回分かったことです。マイナンバーを使いやすいようにと、行政で活かしていた市町村では給付が早く行われており、例えば大分市は5月11日にマイナンバーカードで申請した人には振り込まれているとのこと。労組が反対して活用できなかった自治体も多かったそうです。残念ながら日本の個人番号制の定着も、反日左翼?の影響を受けた世論が妨げてきた面があります。
私が衆議院議員のとき、マイナンバー法案審議の際に安倍総理への質疑で「マイナンバーの拡大で日本の将来像はどうなるか、総理の唱える『新しい国づくり』の具体像の一つとして国民にわかりやすく示してほしい」と申し上げましたが、総理からは明確な答弁がなく、残念な思いをしたものです。国民にきめ細やか、かつスピーディーに給付金を配れる社会、感染症対策と行動の自由とを両立できる社会・・・などとでも当時、答弁してくれていれば、日本はもっと早く、他の先進国並みの社会になっていたかも・・・?と思います。
●「命を守る」から「人間生存の意味」を考える「ポストコロナ脳」を
こうしたIT社会基盤の構築は、ポストコロナの課題とされるデジタルトランスフォーメーションの一環としてどんどん進めねばなりませんが、これはあくまで人間が生きていく上での目に見える手段にすぎません。その一方で、人間が生きる目的である「価値」に関わる領域で「コロナ脳」による破壊が進んでいることにも目を向ける必要があります。
航空自衛隊出身で評論家の潮匡人さんは、コロナ対策で重視されたのは、感染症から守る命と、倒産失業から守る命の「二つの命」だが、自衛隊は個々の人間の命を超えたものを守るために命を擲つ覚悟で活動していると述べています。活動の自粛措置は、フリーターなどの創造的な活動に携わる人々が生み出す価値創造まで破壊している・・・と。
音楽に携わっている私がよく理解できるのは、「リモート」といったところで、カルテットなどの室内楽で肝となるのは、奏者たちがその場で呼吸を合わせることで創られる共鳴の時空によって初めて生み出される音楽性。ズームやスカイプで伝えることができるのは耳と目を通じたメッセージだけであり、ズーム会議をやってみただけでも、人間はそれ以外のコミュニケーションによって何かを創り出してきた存在であることに気づきます。
潮さんは「自粛、自粛」と唱えてきたのは、給料がもらえる階層の人たちであり、日銭で生きているフリーターなどの層にとっては、それはすなわち死を意味する・・・とも。
これから感染が最も深刻になるとされているのがアフリカですが、元アクセンチュア代表取締役の海野恵一さんは、アフリカでは何がなんだか全く分からない世界になるとしています。彼らにとって、生存とは、すなわち「三密」状態であり、平均年齢が30代、なかには20代の国もある若い国々がアフリカ諸国だからです。
そういえば、これはある医療専門家の冷静な見方ですが、新型ウィルス問題の最も早く効果的な終息策は、高齢者や持病持ちなどの高リスク者を隔離し、重症化のリスクがほとんどない健康な若い世代には、むしろ生産活動に活発に従事してもらって感染をどんどん拡大させ、彼らの間で集団免疫を確立してもらうこと。そうなれば、その世代が高リスク者に対する防護壁となる…。
この説の当否はともかく、緊急事態宣言から次のフェーズへと移行した社会において問われているのは、人間は目に見えない価値のために生きる存在であって、デジタル化は決してポストコロナの答なのではないということ。そこに人々が思いを致すことができるよう、「コロナ脳」を克服していくことが最大の課題になっているのではないかと思います。
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