• 松田学

災後10年、鎮魂への「知のルネサンス」を~復興、原発、そしてコロナの失政が迫るのは思考力の覚醒~

あれから10年。3月11日には皆さま、それぞれの思いを抱かれたと思います。私が「日本新秩序」という政治理念の啓示を天から受けたのも、荒涼たる被災地の光景を目の前にしたときでした。では、「災後10年」、32兆円の予算を投じて東北の被災地は本当に復興したのか?どうも、大局観も構想力も哲学もない…。何か肝心なことが欠けていたようです。


では福島は…?実は、福島の事故で放射線による死者は一人も出ておらず、強制避難により、かえって1,500人以上の死者が出た…!英国のアリソン博士が、放射線が実は、恐れられているほど人体に影響を及ぼさないと主張していますが、本当だとすれば、全ての前提が変わってしまいます。ゼロリスク神話の日本は一度考えてみるべきかもしれません。


現在では、ゼロコロナ神話が深刻。えっ!?またさらに延長…!?先週末にはこんな報道に驚かされましたが、日本で最も多くの害毒をまき散らしているのはウィルスではなく、やはり「コロナ脳」。実は、昨年末の巣ごもり要請が逆に感染者を増やし、1月からの緊急事態宣言につながった!!統計数字をみれば、日本が失政に失政を重ねていることがよくみえてきます。日本人の健全な判断力や思考力は、いったいどこに行ってしまったのか…。いつまでも客観的な相対比較もできない感情脳のままでは、国を誤り続けるだけでしょう。


●30兆円超の予算を投じて何をやってきたのか…産業も生活も生態系も肝心の防災も

この10年、被災地の復興をレビューすると…松田政策研究所チャンネルでは、日頃からインフラ整備と漁業問題に対して辛口の論評で知られる小松正之氏(水産庁ご出身、現在は生態系総合研究所代表理事)に総括していただきました。もともとが東北被災地(陸前高田市広田町)のご出身で、専門家としての立場からも、震災のことにも復興のことにも知悉するお立場の方ですが、うーん、やはり辛口。最初に出てきた総括の言葉が「人間って年々、賢さが失われているのではないか。また、自立する力がなくなっている。」


東北復興のレビューとは、近年の日本社会や行政全般のレビューでもあります。ひとことでいえば、目先の縦割り事業とお金のことばかりで、大局観がなくなっている。32兆円もの予算を投じながら、産業も生活も自然環境も…いったい何のために何をやってきたのか…。あれだけ多くの犠牲が出た10年前の災禍を明日の日本創りに活かすことこそが、犠牲者の鎮魂になる…そのためにも、各分野を超えた全体観や哲学に基づく総合的なレビューと新たな組み立てが必要。この対談を通じて痛感しました。「日本新秩序」のためにも…。


小松氏によれば、「いま10年経って、どうなっているか。300kmの海岸線の産業は要するに漁業。町が復活しなければならないのが、漁獲量が震災前の3分1から半分に。これは水産資源の問題であり、それは環境の問題。三陸の場合、沿岸漁業と養殖。森と川と沿岸域の恵みで育まれてきたプランクトン、小魚、魚、牡蠣、わかめ、ホタテ…。栄養がなくなれば減る。巨大堤防が土地を破壊する。グラベル(液状化対策)が入ることで、陸域から栄養源豊かな淡水が入らなくなる。海水が湿地帯に入らない。混ざっていいところ、干潟をつくるところで、浄化作用やプランクトン、その生産機能を失っていく。」


「産業を呼び込むことはせず、(陸前高田市では10mもの)かさ上げをした。高台住宅はできたが、4割が空き家。箱モノばかり作る。それが観光客を呼べるのか、産業になっているのか、しかも空いていて、維持費がかかる。堤防かかさ上げのどちらかでよかった。かさ上げもせずに湿地帯のままにして、国道を高くして防波堤にして周りに木を植えて、それでも相当部分の減災ができるはず。知恵がないためにお金がかばかりかかっている。」


「財務省の人たちは優秀だが、財政規律などと立派なことを言っても、集めた金がどう使われているのか、各省庁と対峙できる専門知識を持っていない。財務官僚の出番のはずなのに、偉大なる素人。もったいない。国も組織もヒト。財務省はヒトの養成が効果的にできる立場なのに、それをやっていない最たるもの。」


「予算は、陸前高田と気仙沼でみると、何を目的に何を成し遂げたのかが全然見えてこない。川の工事の最終形をみせてくれと言ったら、無いと言われた。予算単年度主義で毎年やっていて、結果としてこれで終わりました…になっている。どんな効果が出たか。常識として責任として、造ったあとの事業の環境への影響を評価してはどうか。住宅も買い上げ土地もどう使われ、使われていないのか。今の事情がどうか、つぶさに調べるべきだ。」


「消化して事業をやれば点数が上がる役人は、堤防を作ったらそれで終わりでいいのかもしれないが、地方の人たちからみると、住み心地は悪くなり、産業の基盤も…。」


「懸念された『第二の沖縄』に、もうなっているのではないか。仕事を持ってきてくれではなく、地元の仕事を自分で創りなさい。一次産業か、その周辺しかないはず。それを中核に発展する。漁業に色々入れると生産額は28兆円になる。それに観光や景観も加わる。その漁業が年々10年間で減少してきた。サケは9万尾が2万尾に…。放流してかつては6%帰ってきたが、今は1%。海岸線や川を壊したことが原因だ。」


「防災、防災でやっていることが、結果として災害を助長している。ショートタームでは堤防などが一見防災だが、結果として地球環境や人間の生活にマイナスの影響。これは防災にもマイナス。儲かった人たちがいて、工事で5年で会社で回転する。途絶えたら、3~5年の事業をとってくる。短期の事業で生態系を壊してきた。」


●自然との調和という日本人の生き方を取り戻す大局観と構想力を

「GDP成長率とは、地球の破壊率。経済の『外部不経済』とは、『外への付け回し』。将来世代に負の効果を付け回して、我々は豊かだ…。日本は古来から、自然との共生の国柄なのに、欧米のほうが先に行っている。国是に合わない状態になっている。どこで変わったのか。寺社仏閣自然の森で、自然の国というのが日本像だった。40年前はそうだった。」


「江戸時代は自然環境を相当守っていたが、富国強兵の明治時代から、そしてさらに、ここ30~40年でおかしくなった。日本の法体系が明治、戦後復興のまま。それぞれの法律がバラバラ。連携が全くない。河川法、海岸法には若干の生態系保存があっても、防災法が独立していて個別法には何の配慮も払わない。大局観からみても、先進国ではあり得ないこと。森林伐採をして埋め立てる…米国では考えられないと米国専門家が言っていた。環境ビジネスで生きていかねばならない時代になって、どうしていいかわからないでいる。」


「自然との調和を日本人が取り戻した方が成長にもつながるのに、なぜできないのか。産業一辺倒で我々の上の世代がやってきて、地場のものを活かしながらの自然調和型の生き方を失ってしまい、金銭的な所得に走ってしまった。今回の震災でも、働いて稼いだお金も補償としてもらったお金も同じお金となる。お金をもらったら満足してしまう。」


「子供のころ、ばあさんが言ったが、『魚と自然と空気がうまい』、これは貨幣経済に換算したら膨大だろう。昔はタダでウニを食っていた。何が豊かさなのか。一回、全部レビューしたらよい。堤防の負の効果、かさ上げの効果、どこをどう壊したことが栄養の流れ、生態系に悪影響を与えたのか。


「欧米のような『自然とともに防災する』という自然と共存させるインフラ整備を日本もやらないと世界に遅れるだけでなく、日本の社会基盤も成り立たなくなる。復興予算を続けるなら、根本的なレビューをして、特にソフト面で組み立て直しをすべきだ。」


…小松さんは最後に財務省の見直しも、と付け加えることを忘れませんでしたが、実は、財務省は、今の経理屋さんのような作業をするだけの役所にとどまらない、極めて高度な各分野を俯瞰するプロフェッショナルとしての仕事ができる立場にあるはずです。これができておらず、各分野の素人が頻繁に異動を繰り返しているだけの組織になり、本来の潜在力が発揮できていないことが、真の財務省問題であったことを思い出させてくれました。


日本人よ、指導者たちよ、構想力を取り戻せ…3・11直後には「戦後」から「災後」へと言われたものですが、もはや戦後の右肩上がりが終わり、かつての部分最適の集合による成長の時代から、地球との共生も含めた全体最適へのパラダイムチェンジが日本には突き付けられている…「災後」10年を経て、そろそろこのことに私たちは本格的に気付かねばならないのではないかと思います。


●福島で死者を出さなかった放射線…恐怖と利害が科学的に正しい知識の普及を妨げる

災後10年、もう一つは福島ですが、福島県では現在も避難者の方々が帰還できない地域が多数、残されています。ただ、原発事故による死者とは、強制避難による1,500人以上の死者のことだった…。今回、「放射線の正しい知識を普及する会」からの依頼で、放射線について啓発を続けるウェード・アリソン博士に、私が英国のご自宅との間で行ったzoomインタビューを収録、その第一回目を、3・11から10周年の当日に配信いたしました。


私はこの分野の専門家ではありませんので、アリソン博士の説の科学的な正しさについて請け負えるものではありません。ただ、今回のコロナ禍をみても、メディアなどを通じて多くの人々が正しいと思わされていることが、実は、科学的に見てみれば根本から間違っていて、それが結果として、人々に大きな苦しみを与え、人類社会の危機にもつながっている事例は、結構あるのではないかと感じます。


特に「ゼロリスク」神話の弊害が大きい日本の場合、それによって大事な物事が動けないでいることが多いのは、福島の処理水の問題を見ても明らかです。コロナでも、バランス感覚と俯瞰的判断力を日本人は失っているかにみえます。この番組が、そのような意味での問題提起の一助になればと思って配信した次第です。アリソン博士によれば…、


「福島事故から10年が経ち、広島・長崎から75年以上が経過して、我々は歴史的視点に立って冷静に科学的見地から判断することができます。津波は非常に深刻でしたが、福島においては放射線による死者は一人も出ていない事実に注目すべきです。」


「日本の戦時中における恐怖体験(東京、広島、長崎)が後を引いています。東京大空襲の死者数は広島・長崎に匹敵するもので、原爆における死者の原因の99%は爆発による衝撃と火災によるものでした。癌やその他の遺伝子病については、その後の徹底的な疫学調査により、人間にはほとんど発生していないことが明らかになりました。」


「チェルノブイリ周辺の野生動物たちについては、テレビを通じてよく知られている通り、彼らは全く健康で大いに繁栄しています。人間たちの場合、テレビによって殺人ミステリーのような要らざる恐怖を吹き込まれ続けています。我々は現在の気候変動によるリスクの方をより深刻に捉えなければなりません。農地の砂漠化、極端な気象による大停電、人間の大移動、水不足等々は我々が真剣に向かい合わなければならない問題です。」


「我々は世界の中でも自然放射線量が高い地域、イラン、南インド、ブラジル等に暮らす

人々の健康状態を調査しました。彼らの癌による死亡率は高いでしょうか?いいえ、むしろ少量の放射線は人間を含む生物にとって放射線に対する抵抗力を自然に高め、それは生命が数億年以上前に地上に誕生して以来行ってきたことに他なりません。放射線も少量であれば、ウィルスに対するワクチンのように抵抗力を高めると言って良いでしょう。」


「言えることは、人々は恐怖におののいている間は、誰も何も学ばないということ。もう一つ大事な要素は、多くの人々が自分の職や投資に依存して判断しているということ。」


●原発問題への対応にもみられる学際的な俯瞰力の欠如

「福島の人たちがなぜ、誰も放射線で死なないのか、それは生命というものの本質によるものです。人類は、現在よりも格段に強い自然放射線に晒されてきたにも拘らず、放射線を無害化することで、数億年にわたって進化し繁栄してきました。この事実はマリー・キューリーによって発見されたものです。新しいことでもなければ、知らなくて新しく学ばなければならないことでもなく、ただ、我々が聞きたくなく、学びたくないことに他なりません。」


「再生可能エネルギーは弱く、頼りにならず、産業革命以前のように人類を支えてくれません。現在、3つの勢力があります。化石燃料派、リニューアブル派(再生可能エネルギーで、石炭と石油を利用する前の時代に戻ろうとしています)、そして、原子力を利用する新しい未来派。しかし、自分の職が脅かされると思って逡巡している人々がいます。テレビやマスコミを盲目的に信じることはやめることです。」


「福島では、強制避難、除染、農水産物の廃棄などは、最終的には不必要であったと思います。ただ、事故直後においては事故の程度や深刻さについて誰も解りませんでしたので、最初の数日間は人々は緊急避難すべきであったと思います。」


では、放射線の危険性への過大評価が人類社会にいかなる問題をもたらしているのか?


「一つは、日本が極めて安全で健全な原子力発電所の多くを停止させてしまっていることです。その影響で、この10年間のCo2排出量は日本で激増し、またドイツや米国などの先進国でも同じ傾向の下で大きく増加して環境に悪影響を与え続けています。同時に日本社会では、放射線恐怖症が個人や家族に対して与えた精神的ダメージも大きい。」


では、アリソン博士と同じ認識の科学者たちは、この問題についてどう考え、世界中が誤った認識をしていることを正すために、どう行動しているのか?


「多くの科学者たちは現状を正そうとはしていません。彼らの専門は放射線の分野ではないからです。ある人たちは私に同意していますが。この使命は非常に大きく、彼らもどうしたら良いかよく分らないのです。大多数の人たちは現状を変更しようとはしないものです。医者は核の科学について無知であり、それゆえ慎重ですし、核物理学者たちも医学を知らないがゆえに、発言は慎重です。また、これは日本だけでなく英国でもいえることですが、学問が専門的になりすぎて、確信を持って領域を超えて提言できる人がいない。」


「全ての技術・学問の進歩は、ある一つの専門領域と他の専門領域との境界に存在します。それゆえ、世界の研究機関において研究領域が一つでなく複数の領域が関わるとなれば,その研究は楽なものではありませんが、より深く、優れたものになり得ます。」


…コロナもそうですが、人類にとってはいまだ未知のことのほうがはるかに多いのが自然界だと考えるのが、真に科学的な態度。原発問題も、特定の結論を決めつけず、予断を持たずに、もう一度、原点から再考してみる必要はあるのではないかと思います。少なくとも、学際的な俯瞰的思考力の欠如は、現在のコロナ「専門家」にも共通の大問題でしょう。


●年末のステイホーム要請が年明けの緊急事態再発令を招いた…失政が失政を呼んでいる

こうした専門家たちよりも、統計数字とファクトに着目した素人のほうが事態を正確に捉えています。以下は、松田政策研究所チャンネルで対談をした永江一石さんの見方です。


「コロナ対策で経済をとめても、感染が減れば経済に良いと医者は言うが、とめた場合の比較衡量を言わねばならないのに、データできちんと誰も言っていない。どれぐらいの損失、自殺者、頭がおかしくなる子ども…リスクの計算をしていない。自殺者一人当たりで、一生、精神的なダメージが残っている人が160人。精神科医も、緊急事態宣言を出すぐらいのレベルまで来ていると言っている。女性も子供(2倍)も自殺者が急増。子供は鬱が過半数。毎日、死を考えている子が8%。以前との比較で、あまりに多い。自殺の前は鬱。閉鎖空間で友達に会えず死の恐怖。屈強な自衛隊員でさえイラクで自殺者が出た。」


「緊急事態宣言には感染収束の効果は無い。ピークアウトは緊急事態宣言とは関係ないというのは、尾身さんですら、そう言っている。再発令前の1月5日が陽性者のピークだった。勝手に増えて、勝手に収束するのがコロナだ。人がどうしたからで抑え込めているわけではない。医者は認めたくないだろうが…。いまでは、地域による人出の多寡とは無関係に、感染者はどこも減少している。」


「ウイルスの専門家も、初めての事態でわからないことだらけで、今回はみんなが素人だ。インフルエンザも人の動きでは抑えられないのに、打つ手はないと専門家は言えないため、可能性があるということで、マスクとか人の動きなどと言ったのだろう。初期の頃は別として、すでに蔓延してしまってからでは、人の動きは関係がない。このことを世界中が証明してしまった。専門家たちは数理モデルを利用してシミュレーションを何回も外している。ファクトが出ても修正せずに、同じモデルで回しており、PDCAをしていない。」


「昨年末に向けてGotoキャンペーンの中止で、家にいろとなった。1月5日が陽性者数のピークなので、感染からのタイムラグが平均4.7日であることから、感染のピークは年末の家庭内感染だったことになる。感染を食い止めるために、家にいなさいといったら、感染が爆発して、感染のピークを前に持って行ってしまった。それで医療崩壊が懸念される事態となり、そこから緊急事態再発令と言い始めた。」


「家庭内にとどまるということは、濃密な接触を意味する。Gotoは旅館など、徹底的な消毒などの対策が施されているが、家だと緩んでしまう。感染拡大のあとに家庭内にとどまると爆発する。これは、結構、殺人だった。1月5日のピークアウトは、一斉感染の結果、感染する人が減少したからではないか。今の陽性率は3.2~3.3%で、最も低い水準にある。これ以上、下がらない。そうなると、陽性者数を決めるのは検査数。検査数が多い時には上がり、少ないと下がる。陽性率はずっとこのままいく。いつまでやるのか。」


●高齢者の感染源は高齢者施設…対策は飲食業や行動抑制ではなく施設と病院への特化を

「若い人から高齢者にうつす?無症状者は2種類。発症前の無症状者と発症しない無症状者。後者はうつさない。高齢者の感染の9割は、都内では施設内感染。1.7%しか若者は高齢者と住んでいない。だから、施設内感染をとめる政策をすれば良いはずだが、それをしていない。デイサービスでもらってきて、家に帰ってみんなにうつしてしまう。飲食店にお金を使うなら、なぜ施設対策をしないのか。政府がお金を出して、高齢者施設や病院の導線の作り変えをすべきだ。それは今後もずっと効く補助金の使い方になる。」


「(緊急事態宣言再延長の理由とされた)感染者数の下げ止まり?曲線は減少率が低下して最低ラインに到達するもの。これは統計学の常識。そうでなければ限りなくマイナスに行く。現状は、もうこれ以上、下がらないことを意味している。陽性率は3%ぐらいはあるということ。これが6月になると、抗体が消えてまた上がる。永遠に待つのか?4か月ごとに山が来ているのは、コロナの抗体が消えるからだ。これを繰り返して、だんだん山が小さくなる。あのNYが、今は罹った人の数の割には死んだ人がいない。」


「ロックダウンによって、かえって死者が増えた。ステイホームでは死者数の減少には役立たずだという論文があちこちで出ている。日本では逆に、ステイホームで増えた。山を前に持ってきて医療崩壊で亡くなった人が出た。とにかく家にいろ、やめろと何の検証もなく論文も読まずにメディアが言っていた。医療が最も大事な産業であり、守らねばならないのは医療だという本末転倒になった。」


「イスラエルは感染を抑えたと言っていても、数字を改ざんしていた。いまは戦時中だから、数字を出せない事情があるのだろう。ワクチンをいち早く接種した国だが、画期的には減らない。ワクチンは重症化しない効果はあるが、感染しないわけではない。欧米はワクチンを打っても日本よりも状態が悪い。向こうは悪すぎるから、改善への糊代があった。日本は同じ比率で効くのかどうか、わからない。日本人は相対比較ができない人が多い。感情で動いている。それはフランス人も同じだが…。」


「注目すべきは認知症の方のこと。コロナが治ったのに病院から出られない人が多い。特養は空きがなく、家族も引き取らない。高齢者施設から認知症の方が病院に送られてきたとき、マスクもさせられないし、暴れる。高齢者施設をとめないことには、認知症の人が来ると、とめられなくなる。認知症の方々は閉じ込められない。」


「高齢者施設の封じ込めがキーポイントなのに、どこもやっていない。高齢者施設と、感染者を出しやすい病院に対策を絞るべきだ。設計からやり直す。それだけで重症者は大きく減る。導線を変える投資は、飲食店に対するお金より、ずっとコスパが高いはず。」


●日本が主導すべき新たな文明への「知のルネサンス」…まずは財務省から?

さて、歴史を振り返れば、大災害やパンデミックのあとには新しい文明が台頭してきたとされます。欧州では人口の3分の1が失われたペスト禍のあと、イタリアでルネサンスが勃興しました。新しい文明といえば、21世紀は、これまでの右肩上がりを前提に各自の利己心で全体最適が達成されるとする西洋文明が、東洋中心の文明へと転換するとされる世紀です。もしかすると、各専門分野に分化して高度に発展を遂げてきた部分最適的な科学技術の在り方にも、大転換が求められているのかもしれません。


災後10年、この間も幾多の大災害を経てきた日本が、今度はコロナのもとで、専門家たちの見解と国民の実感や実体との乖離が起こり、それが不要な精神的フリーズ状態という災禍をもたらしました。そのような日本だからこそ、日本ならではの気付きがあるはず…。素朴な常識に裏付けられたリアリズムに基づきながら、総合的で俯瞰的な大局観のもとに「知のルネサンス」を主導する位置に日本はあると考えたいところです。


こうした思考のパラダイム転換は、長らく自然との共生を尊ぶ文明を営み、江戸時代には世界に冠たる循環型社会を実現してきた日本だからこそ、その使命を担えるのではないか。災後10年、これをもって犠牲者の方々への鎮魂とできないものか。


小松氏が言うように、まずは国を代表するエリートたちが集まり、俯瞰的な総合判断によって予算をもって各分野を動かせる立場にあるはずの財務省の思考改革から始めるのも、一案かもしれません。

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