• 松田学

最長安定政権の終焉と安倍総理が残した課題~日本は新型コロナ終息宣言へ局面転換を~

これだけの歴代最長の安定政権でありながら、これだけ大きな課題を道半ばで残した政権はなかったかもしれません。もちろん、憲法改正、デフレ経済からの脱却、北方領土、拉致問題…と、掲げた課題が遠大だったということもありますが…。経済も外交もガタガタだった民主党政権時から日本を立て直したことが安倍政権の大きな成果だったのは言うまでもありません。では、そこからさらにどのような新たなプラスの成果を達成したのか。


安倍総理の応援者として辞任は残念な事態ですが、その記者会見で私が期待していたのは新型コロナの終息宣言。今回は、安倍政権への全般的な評価を試みた上で、目下の最大の懸案、コロナがなぜ終息といえるのか、少しわかりやすく整理してみたいと思います。


●成果としての外交と意外と少ない内政面での成果

安倍総理のプラスの成果といえば、なんといっても外交でしょう。首脳同士の人間関係が大事なこの世界では、古参であること自体が強み。メルケルに次ぐ先輩格となったG7では、トランプに手を焼く各国首脳たちが安倍総理を頼り、最後はトランプも「シンゾウの意見を聞こう」。日本が世界の外交を主導するとは、国家始まって以来の快挙でした。


経済外交でも、TPP11、日・EUのEPA、日米貿易協定、そしてRCEPへと、日本が世界のメガ自由経済圏のいずれにも属する世界唯一の国として、今後の国際秩序形成の要の位置に置かれることになったのも、安倍政権下での成果だといえます。


安全保障面でも、日米同盟を現実に機能させるための法制的な前提である集団的自衛権の限定的行使容認を可能にした平和安全法制は画期的な成果でした。国家機構の面でも、特定秘密保護法で同盟国との情報交換の前提を整え、日本版NSC、さらにはNSSに今年は経済班まで立ち上げるなど、国家として最低限必要な器を整えるに至りました。


もちろん、これらも憲法改正なくしては不十分なままですが、では、国際社会の中で当たり前の主権国家として機能するための基盤の上に立って、日本は自国の国民に対して、そして国際社会に対して何を生み出す国になるのか。これは自国の内生的な営みを通じた価値創造の領域に属する課題。この面では、未だ十分な成果なきまま政権は終焉しました。


何よりも経済を重視した安倍政権ですが、金融政策、財政政策、成長戦略の3本柱から成るアベノミクスは、あるべき経済政策の必要条件であって、その上に立って、どのような成長経路をどのような姿で築き上げるかがなければ、成長の十分条件には至りません。


マネーの量を増やしてインフレ目標2%を達成するという政策も、第一の矢である金融政策の限界が明らかになりましたが、そこで期待されるべき第二の矢である財政によるマネー拡大は、国債発行額の縮減という、これとは正反対の財務省による呪縛をはねのけるだけの理論的フレームワークを構築し、官僚機構の壁を打ち破るまでには至りませんでした。あえて言えば、「松田プラン」に耳を貸せば良かったのに…と悔やんでほしいものです。


成長戦略の失敗は明らかです。潜在成長率は低迷を続け、国民にとっては最も肝心な実質賃金は低下傾向のまま、出生率は上がらず、国家の最大の課題である少子化対策が奏功したとはいえません。社会保障の持続可能性にも答えは出せず、老後2千万円問題に象徴される閉塞感の中で、今の若者の最大の関心事は老後の心配…。


「日本を取り戻す」を掲げて政権についた安倍政権は、では、どの日本を取り戻すのかが不明確なままでした。安倍総理は口癖のように「新しい国づくり」を唱えていましたが、いまの日本経済に最も必要なのは未来に向けたストーリー。第三の矢の要諦もここにあります。私は「未来を描かずして改革も成長も安心もなし」を唱え、衆議院議員として国会での安倍総理への質問に立つたびに「新しい国づくり」の具体的な中身を問うていましたが、残念ながら、一度も明確なお答えはありませんでした。


●忖度を招いた?とされる政治手法について

ここで思い出すのは、第三の矢の目玉である国家戦略特区法案への国会質疑に際して、私が「スカスカの中身ですね」と申し上げたのを安倍総理が遮って答弁に立ち、「松田さん、違うんです…」と滔々と、この法案の重要性を語っていたことです。


実は、この法律は規制改革の中身よりも、総理自らが先頭に立って、特定業者の事業実現のためにテーラーメイドで規制改革を考える、これを突破口にして各省庁の岩盤規制を破るという手続きを定めたものでした。その意味で、癒着が疑われた加計学園問題も、色々と言われていることはこの法律に従って行われていた面が多かったのですが、そのことを堂々と言わず、国民への説明努力が不足していたことが疑惑を大きくした面があります。


この案件も、森友学園同様、「安倍一強、官邸一極」のもとでの「忖度」の弊害と言われましたが、さらに大きな問題は、安倍政治のスタイルとして、オール霞が関、オール与党を巻き込むのではなく、信頼できる取り巻きだけを重用する政治手法がとられたことでした。この手法は外交などでは奏功しますが、内政で大きなことを成し遂げることは困難。アベノマスクなど政権末期に新型コロナ対策で支持率を落とす原因にもなったようです。


内閣人事局の設置で幹部公務員の人事権を手中に、官邸による一種の恐怖政治…?そのもとで、官邸でのレクチャーで最初に問題点を挙げる官僚は人事で飛ばされるなどと言われたものです。しかし、本来、専門的な立場から問題点を政権に伝えるのは職業官僚の存在意義の一つ。官僚機構の萎縮は大きな問題でした。元文部科学事務次官は座右の銘として「面従腹背」と述べましたが、むしろ、某財務省大物OBが言うように、異論は出しても、いざトップが決断すればそれに従う「面背服従」こそが多くの官僚の心構え。


この点、省庁の大臣を経験することなく総理になった安倍氏には、最初から官僚に対する警戒感が強すぎたように思います。2014年11月の消費税解散の理由について、菅官房長官の後日談では、増税を延期しようにも財務省が政界にも張り巡らした官邸包囲網を破るには解散しかなかったということ。私は思わず菅長官に、官僚は反対していても、総理が決断すれば従うものだと忠言申し上げました。政治主導で大事なのは、官僚との対峙ではなく、官僚を得心させられる独自の知恵を政治家や政党自身が備え、決断を下すこと。


●敵は与党内に?…日本の政界の課題

ただ、安倍総理がもっと苦しんだのは与党のほうでしょう。日本の政治の対立軸は与野党の間にはなく、与党の中にある。それは親中派(ランドパワー)vs親米派(シーパワー)だと言われます。前者は社会民主主義的でもあり、後者の保守派の立場を代表する安倍総理は、二階幹事長を代表格とする前者をも取り込んで、両方に軸足を置くことで安定政権を維持できました。これは、保守理念先行の第一次安倍政権の反省の上に立った現実主義。


結果として、7年8か月にわたる長期政権でありながらも、安倍総理は保守派の期待に十分応えられず、国際標準では中道左派にとどまったことが、辞任表明された安倍総理にとって最も悔しかったことではないでしょうか。それを象徴するのが、憲法改正の先送り。


これと並んで解決できなかった大課題が拉致問題や北方領土問題ですが、相手がある外交問題という面があるとはいえ、これを在任中に掲げ続けたことには、日本の諜報能力の不備も指摘されています。誤解を恐れずに言えば、かつて北朝鮮の信頼できる情報が総連を通じて入っていたなどとされるパイプも、送金が途絶えると金の切れ目が縁の切れ目?日本の真の情報収集能力の低下を関係者は指摘しています。


さて、次の総理候補者ですが、名前が挙がっている方々、いずれも心底から総理にふさわしいと言えるか、多くの国民が疑問に思っているのではないでしょうか。安倍政権の最大の失政の一つが、安倍一強のもとで、政権をもぎ取ってでも次の大きな構想で日本を動かそうとする大物の後継人材が育たなかったことだともいえそうです。これは、国益上有為な人材を発掘して一国の指導者へと押し上げるという、政界の本来の使命の一つが、日本では果されてきていないことをも意味する深刻な事態ではないでしょうか。


次なる日本に向けて意味ある選択肢を示し、国民を前へと鼓舞する政治が現在ほど求められている時はないと思いますが、その意味でも、日本の政界は機能していません。


●新型コロナと国民とのリスクコミュニケーション

道半ばの大課題といえば、新型コロナもそうです。メディアの煽り報道にも関わらず、安倍総理、菅官房長官、加藤厚労大臣のいずれにも、あの上久保靖彦・京大大学院特定教授から集団免疫の話が入っており、政府が間違った方向に行くのを抑えていたようです。


新型コロナでの政権の対応で最も問題だったのは、国民に対するリスクコミュニケーションの不足。ただ、6月以来、辞任表明まで安倍総理が記者会見を開かなかったことが示すように、やはり総理の体調不全が、リーダーシップの発揮を困難にしていたそうです。


もりかけ桜とか忖度などと批判されたのも、政権による率直な説明やコミュニケーションの不足による面が大きかったのではないでしょうか。快復されて元気にこれから取り組むだろうと、その2日前の夜に総理側近と飲みながら、そんな会話を交わしていた矢先の辞任会見でした。安倍政治を引き継ぐ新政権が国民を早く「コロナ脳」から脱却させ、中国の思惑?を制して日本が活動モードに本格転換できるよう期待するものです。


●なぜ日本ではコロナが終息したといえるのか

ここで、政権首脳に正しい判断をさせた功労者、小川榮太郎氏によるコロナ終息宣言について、同氏の言葉でご紹介したいと思います。


「もともと旧コロナは軽症の風邪。誰もが年間に5~10回ひいている。鼻水すら出ない場合もある。その意味で5~10億回、さらにもっと感染している。それも無症状のことが多い。しかし、医師からウイルスを特定しようと言われたことはない。新型コロナは旧コロナよりも感染力が強かったので、通常より感染者が多いのは当たり前。それがなかなか重症化しないというのは、もう免疫ができている証拠。」


「東京理科大学の村上康文教授が抗体の定量検査を発表。入院している人のレベルで陽性者を考えると2%は首都圏で陽性。それ以外は全員IgGが出ている。それは既感染パターン。一度かかって、治ったら抗体量は下がるが、また感染すると、ぐっと上がって撃退できる。「上久保-高橋説」は単なる仮説ではなく、実証されているといってよい。」


「当初は世界中の政府が、中国政府が各都市を封鎖したので何かある、危険だとなった。武漢は緊迫、医療崩壊。結果をみると、世界でもインフルエンザの死者の範囲に収まっており、しかも余分に数えている。マクロでみて変異型の風邪だった、通常より危険だが、特別に恐れるより、医療現場で対応できる程度に抑えればよいことが分かってきた。」


「政府は終息とは言えない。その中で、叩かれてもgo toキャンペーンを推進した。これが日本政府のメッセージ。それ以上は言わせるな。なのに、飲食店の制限、東京から出るな…などと、専門的な根拠があるかわからない首長たちが、学級崩壊のような状態に。」


「国民はみんな微妙な判断をしている。だから出歩いている。飲食店は満席、満員電車に乗っている、帰宅したら高齢者と同居。かと言ってマスクをはずすと、人目が怖い。」


「経済界がおかしい。出張を自粛して新幹線はガラガラ。自分の会社から感染者が出たら大変だと、企業が自粛モード。PCR検査も財界が熱心。政府の方針と正反対。財界はもう少し勉強すべし。PCRとはコロナをあぶりだす検査でなく、使い方を間違っている。財界は目を覚ませ。マスコミと財界が政府の足を引っ張っている。」


●感染症対策の基本に立ち返る…次の総理に問われる最初の大仕事

このように、もはや新型コロナは平時モードだと考えると、真に必要な対策とは何かが見えてきます。メディアは「感染拡大」と報じていますが、感染症対策の基本は次の式に尽きます。「重症者数<医療資源」。問題は感染者数(正しくは陽性者数)ではありません。この式の達成のために必要な政策とは、実は、指定感染症の分類変更。日本政府も安倍総理の8月28日の会見で、ようやく、この分類変更へと、政策の正常化に動き出しました。アゴラ代表取締役の池田信夫氏は次のように述べています。


「各国でもウイルスの感染は集団免疫に達するまで続く。長期的には死亡率はあまり変わらない。ロックダウンはあくまで応急措置だった。一時的に医療資源が足りなくなる場合にやるのがロックダウン。英、仏、伊など医療崩壊が起きた国ではやむを得なかったもの。」


「感染症対策の基本的な考え方は20年位前からあり、ピークになって緩やかになる感染カーブが医療資源の制約を超えて医療崩壊になることを防がねばならないということ。そのため、緩やかにピークを遅らせて収束させていく。ピークシフト、ピークカットが基本。」


「しかし、イタリアで予想外の医療崩壊となり、準備不足だったのでロックダウンをした。これは昨年までなかった言葉。それが世界の常識であるがごとく言われているが、間違い。集団免疫に必要な60%程度の罹患率までは終わらないので、緩やかにして長くお付き合いするしかない。これは集団緩和政策とされ、WHOもCDCも言っている本来の対策。ロックダウンは応急対策であり、いつまでも続けるものではない。」


「ロックダウンをやめたあとに平常時にどうウイルスと付き合っていくかといえば、一定の感染は容認する平時の政策の確立である。ピークになる曲線とは、感染者数ではなく、重症患者数。人工呼吸器などが不足して助けられる命が助けられないということにならないように、重症患者数や医療資源をコントロールするということ。」


「PCR検査を増やす減らすの議論には意味がない。何百人も感染させて死ぬならPCRにも意味がある。しかし、日本の死亡率は0.2~0.3%程度。日本での問題は、社員が一人でも出ると閉鎖、お店を閉める。その被害が問題。検査が増えれば陽性者が増えるのは当たり前。いまや実効再生産数も問題ではなくなった。重症者の数が問題。日本は米国のように多数の死者が出ている状況ではない。」


「医療インフラに対して重症者が少ない。これが対策としての必要十分条件。だから、日本は十分にOK。第二波が来ても対応できる。今はもう大丈夫。感染者数よりも、病院の体制の整備をみるべし。それも今は問題なし。」


「新型コロナは感染症2類相当と、1月末に政令で指定された。これは結核、鳥インフル、Sarsに相当。しかし、実は、2月13日の厚労省の会議資料で、政令では2類相当だが、今は特別に深刻なので、感染拡大防止のため、無症状の病原体保有者にも入院を要請することとした。無症状者は入院させる必要はないのに、厚労省が勝手に1類に格上げした。この1類とは、エボラ出血熱やペスト。これらなら無症状でも封じ込めるべき病気。当時、役所が警戒したのは理解できるが、それは政令を踏み越えて行政運用で格上げしたもの」


「2類から分類を指定変更することは政治的に困難だとしても、この運用を元に戻すだけでもよい。戻せば、無症状で入院している人たちは無料なのが有料になる。


「1類扱いだと、陽性者は感染症指定医療機関しか扱えない。他の一般病院は、コロナの中でガラガラ。陽性者は一般の病院には入れられない。溢れたらホテルや自宅待機。病院に入れられない人をホテルや自宅にというのもおかしな話だ。」


「秋~冬にインフルエンザの流行と合併する可能性。上久保-高橋説のように干渉作用でどちらかだけが流行するならよいが、もし合併で流行したら、ダブルできいてくる。インフルエンザは5類なので一般病院で見てもらえる。5類で陰性でも、その上の指定感染症の診察を受けねばならない。そうすると、指定感染症病院にまた人が集中する。」


「いまは、重症者数<医療資源の基本に即して、コロナと一緒にインフルが流行したらどうするかの対策に重点を置くべき。だからこそ、少なくとも1類扱いを外すことが必要。インフルエンザ並みに5類とするのが本来の対策。」


…そろそろ全体像を示して、本当は何が必要で、何が必要ないのか、国民の「コロナ脳」を直せるのは一国の指導者からの明確なメッセージだけです。次の総理にまず最も期待すべきなのは、この点についての決断力と国民への説得力なのかもしれません。


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