• 松田学

メディアと医療界を過信する日本国民の不幸の構造~緊急事態宣言の再延長が意味するもの~

3月5日は啓蟄(けいちつ)の日ですが、4都県の住民にとって、今年は啓蟄の日とはいえませんでした。啓は「ひらく」、蟄(ちつ)は「土中で冬ごもりしている虫」。大地が暖まって、冬眠していた虫が春の訪れを感じ、穴から出てくることを意味します。その日、私は道端に花開く梅の花を写真に収め、次の文とともにフェイスブックにアップしました。


「咲いた、咲いた…この一年、テレビから聞こえてきたのは…『最多、最多…』今度は『下げ止まった』で春の到来は二週間延期…感染者の数字で凍てついてしまったのがコロナ脳…医療現場の心ある関係者の方々から次々と『言えないけれど、その通りです。早く騒ぎが終わってほしい』…。なぜ言えないのか、いまだに不思議ですが…。」


この日は、夜に菅総理が記者会見をした日になりました。緊急事態宣言の再延長!?このこと自体が政権と常識的判断力にとっての緊急事態!!ではないでしょうか。「ゼロコロナ」神話から卒業しないと、事態はいつまでも収束しません。深刻なコロナ脳を、感染症の基礎知識で治さねばと痛感します。医療現場の分かっている方々にも、早く声を上げてほしいもの。啓蟄の日、首都4都県の住民は、穴から出ることを止められました。


今回は、この緊急事態宣言をめぐり、私たちの社会経済活動にストップをかけている医療の問題や、コロナ脳を国民に強いたメディアの問題などについて触れてみます。日本人は世界一、メディアを信頼している国民。それが日本国民の不幸の原因だとの分析もあります。総務省接待の背景にも、テレビメディアの構造問題の存在が指摘されています。


●問われる「医師全般への信頼」と、間違っていた東京都の重症者病床使用率の数字

前記の私のFB記事に八幡和郎氏が次のコメントを寄せてきました。


八幡「他の医者が大丈夫でないと言ってるのに、他の医者が大丈夫と言うのは医者同士の仁義に反すると言うことですよ。商売の邪魔しない、恥かかさないと言うことですよ。」

松田「なるほど。そういうことがありますね。」


八幡 「少し良心的な医者なら間違った診断や措置をされたことを患者に気づかれないようにしつつ方向転換することが正しい医師の道だといいます。『医師全般への信頼』がゆるがないようにすることがいちばん大事というのが日本の医者が先輩や教授からしっかりたたき込まれる十戒のトップかも。医者でない私のところにも、お医者さんから、『八幡さんの指摘はだいたいもっともだが、医師全般への信頼をゆるがすようなことは云わないで欲しい』と要望多し。」


松田「日本人は過剰に医師を信頼していますね。今回、ここまで医療界が国民全体を振り回していることに多くの国民が批判どころか、応援までしていますから。」


八幡氏は以上を、「松田学先生とのやりとりです。これはとても大事な論点だと思うので、ご参考までに。」として、ご自身のFBに再掲載しておられます。


緊急事態宣言から国民がなかなか脱することができない最大の原因と言ってもよいのが、医療逼迫の問題。ところが、その逼迫度を示す重症者病床使用率の統計に重大な誤りがあったことが判明しています。厚労省は2月26日、東京都のこの数字について大幅に下方修正しました。どうも、国の基準と東京都の基準とでは重症者病床の範囲が異なり、以前は、分母は国基準よりも少ない都基準の500床、分子は国基準の数値ということで、それ自体がそもそも整合的でない過大な数値となっていたようです。


これが分母を国基準での1,000床とすることで分母分子とも国基準へと是正されたことで、2月16日時点では「86.2%」としていた数字が、同23日時点で「32.7%」へと大幅低下。この大幅修正について、厚労省や東京都は特段の発表をしておらず、メディアも指摘するどころか修正に気づかず、誤報を繰り返しているメディアもあったようです。


厚労省は数値の不正確さを1月半ば頃には認識していましたが、注釈をつける形で不正確な数値を発表し続け、大手メディアは注釈抜きで「86%」、「113%」といった誤報を繰り返してきたそうです。このあきれるばかりの杜撰さ…。


前回春の緊急事態宣言の頃にも、東京都の過大な陽性率の数字が改定される事件がありましたが、安倍総理の某ブレーンからは、厚労省による数字の改ざんなど、新型コロナのをめぐる官邸と厚労省の間には色々な軋轢があることを耳にしていました。


「緑の狸」?…あの都知事の思惑を疑われても仕方ないかもしれません。厚労省は医系技官の牙城、彼らの意向に反すると、厚労事務次官とて省をマネージできなくなるとか…。


●緊急事態を解除できない本当の理由はコロナ対応に配分される医療資源の異様な少なさ

感染症対策のイロハは、患者の数が医療資源の制約の範囲内に収まるようにすること。

そのためには2つの道があり、一つは、患者数の増加のスピードを抑えて、患者数のカーブを後ろ倒しにすることで、その山が医療資源の制約線を突き抜けないようにすること。海外のロックダウンや日本の緊急事態宣言は、この道を行くための社会政策といえます。


問題は、抑制の対象が医療資源が対応すべき真の患者だけでなく、PCR検査の陽性者全員となっていることにより、カーブが著しく過大になっていることです。


もう一つの道が、カーブの山が制約線を突破しないよう、医療資源の側を拡大すること。前述の重症者病床数などがその対象ですが、これは医療政策の分野。


実は、日本の最大の問題が、この医療政策の分野、つまり医療界にあります。PCR陽性者は全員、隔離の対象になりますが、まず、それだけの対応能力が日本の医療にはありませんので、ホテルなどの宿泊施設送りになります。ところが、1月から緊急事態宣言が発動された11都府県全体の施設使用率は、感染ピーク時でも3割に過ぎませんでした。


これは、清掃作業がフロア全体の入れ替えのタイミングに限られていることや、看護師不足を原因とするもので、ひとえにマネージメントの欠落といえます。結果として、宿泊施設に入れずに自宅療養となった方々が大半となり、自宅での急な病状悪化で亡くなる方々が相次ぐことになりました。その根源にあるのが、コロナ病床数の少なさ。


これは日本経済新聞で報道されていたことですが、日本は新型コロナ患者受入れ病床の割合が欧米の10分の1以下、つまり、コロナ病床/全病床(1月下旬)は0.87%に過ぎませんが、英国はこれが22.5%、米国は11.2%です。これには、日本では全国に約8,000の病院が散らばり、個々にコロナ対応を判断していることも影響しています。うち約8割を占める民間病院も中小が多く、コロナ対応をすれば経営が成り立たなくなる病院が多い。


●パンデミックへの危機対応が機動的にできない日本の医療の構造問題

医師も病院(勤務医)と開業医とでは立場は分かれますが、上記の構造は、長年にわたり医療界のドンとして君臨した武見太郎氏が率いる日本医師会が政治的に医療を聖域化し、開業医を優遇する医療政策が日本では採られてきた結果であると言われています。


もちろん、そこには専門医に偏重した医療教育などがもたらした総合診療医や救急医療人材の不足などさまざまな問題が絡んでいます。重要なのは、この構造の帰結として、他の先進国では常識化した「Hospitalとは個々の病院ではなく地域全体を指す」との考え方のもとでの「機能分化と統合」、つまり地域の医療資源を地域全体で事業統合するIHN(Integrated Healthcare Network)の日本での進展が遅々として進まなかったこと。これが、医療資源の新型コロナへの機動的、弾力的配分を阻んできたといえるでしょう。


電子データ化の遅れがこれに拍車をかけましたが、いずれも私が長年にわたり、日本の医療システム改革として唱えてきた課題。医療界には深刻な反省を求めたいところです。


採算がとれなくても社会的に必要な医療を提供する役割を担うのが自治体が運営する公立病院ですが、厚労省の数字では、日本の公立病院約700のうち新型コロナに対応している512病院の受入れ患者数は3,700人で、1病院当たり7人。全国自治体病院協議会の昨年11月時点での調査によれば、 コロナ病床数は、回答した416公立病院の11.7万床のうちの約3,600床で、3%に過ぎないとのこと。これに対し、たとえば、感染者数が日本の数十倍のスウェーデンでは、首都の大学病院1,600床の3割を新型コロナ対応へ転換し、コロナ以外の疾病は他の病院が受け持つといった分担体制を敷いたそうです。


つまり、日本では新型コロナ対応に向けた、医療システム全体のパフォーマンスの低さが目立ち、これが医療崩壊の懸念をもたらして緊急事態宣言の解除を困難化している元凶となっています。八幡氏が述べているような医療人のモラルの問題もあるのかもしれません。最近になってようやく、医療側の問題を指摘する報道や論調が出てきましたが、私も八幡氏も昨年12月頃から、この問題について論陣を張ってきました。


医療界が問題を社会政策の側に押し付けて、国民全体が大迷惑。他国なら暴動が起こっているかもしれません。緊急事態宣言は医療界に対してこそ出すべきでは…?


●緊急事態宣言は延長されないことになっていた…「緑の狸」?がすべてを変えた?

その緊急事態宣言、一般国民に対して首都圏の4都県は二週間の延長が決まりましたが、その可否を決める目安とされてきた客観的指標である「ステージ4」からの脱却は、病床使用率、療養者数、陽性率、一週間の感染者数、感染者数の前週比、感染経路不明者の割合の 6つのいずれをみても、延長の事実上の意思決定時点では、達成されていました。


どうも、菅総理ご自身は、2月末頃から、宣言を解除したがっていたようです。政府関係者の間でも、延長なんかしてもキリがないというのが本音で、政府内では3月7日をもって宣言を全面解除する方向性が共有されていたことは間違いありません。報道によると、3月2日時点での内閣官房の資料では、4都県の感染状況などの指標は概ね「ステージ3」相当で解除の目安をクリアしており、5日の政府対策本部会合で7日での全面解除の決定を前提に、解除に合わせた支援パッケージを提示することも検討していたようです。


それが、3日には、小池都知事ら4都県の知事が2週間を軸に宣言の延長を求める動きが表面化し、この3日の夜、総理は延長へと舵を切りました。総理の頭には、「4都県知事の圧力に押されて1月7日の宣言再発令決定に追い込まれた苦い記憶」があり、「今回も小池知事らの要請を受ける形で方針転換すれば指導力が問われかねないとの懸念から、あえて要請を待たずに表明に踏み切った」ようです。政府内からは「小池氏の術中にはまっただけ。本来なら7日に断固解除すべきだった」との声が上がったとか…。


国民生活の全般に関わるこんな大事な意思決定が政治的思惑に左右された結果だとすれば、これこそ大問題。「緑の狸」との揶揄も、その罪の重さを考えれば仕方ないでしょう。


●拡大する社会的弊害と、科学的事実から遮断された日本国民の不幸

2月末に実施されたある世論調査では、首都圏への緊急事態宣言は「感染拡大が続く一部地域に絞って延長すべきだ」が57%、「発令中の地域全てで延長すべきだ」は26%で、合計で83%、「全ての地域で解除すべきだ」は12%にとどまっていました。メディアによる煽り報道のなかでは、今回の延長措置も国民からは理解されるということなのでしょう。


他方で、パンデミックの精神的な苦痛により、日本人女性の自殺件数は深刻なほど急増しているようです。昨年、日本では6,976人の女性が自ら命を絶っており、2019年に比べ約15%の増加、10年以上ぶりとなる前年比増加だそうです。その背景として、たとえば東京では、約5人に1人の女性が一人暮らし。外出を自粛し、高齢家族を訪れてはいけない、という強い要請が孤独感をより加速させていることが指摘されています。


「社会的結束に基づく文化や、マスク着用・政府要請への社会的プレッシャーが強い文化は、コロナ禍ストレスを増幅させる要因にもなっている」、「女性は家族の健康の面倒を見なければならず、清潔面の管理もしなければならず、それができない場合は恥をかく可能性がある、女性がウイルス予防の重荷を背負っている」…専門家からの指摘です。「家で1人で過ごしていると社会から疎外されていると強く感じます。そしてその感覚は本当に苦しいものです」、こんな女性からの声も…。宣言延長の弊害は挙げたらキリがありません。


頼みのワクチンは…。総理会見の場で尾身氏が、ワクチンでも感染はなくならないという、ごく当然のことを述べて注目されていましたが、「収束」とは何かのコンセンサスを形成できないまでに感染症の基礎知識が国民に共有されていないのは、誠に不幸なことです。


前記の世論調査では、2月末時点で「直ちに接種したい」が31%、「副作用などの状況を見極めてから接種したい」が57%、「接種したくない」が9%と、必ずしも日本人の多くが諸手を挙げて無条件で接種したいわけでもなさそうです。もちろん、接種後すぐには判明しない副作用として、変異の激しいRNAウイルスについてSars以降、ワクチン開発が禁止された理由であるADEによるサイトカインストームのリスクが否定できません。問題は、そうした理由で拒否した未接種者に対する行動の自由が、国際的に制約されること。


世界中でワクチン接種が進むなか、EUでは「デジタル・グリーンパス」法案提出の動きが出てきました。このパスの導入により「就労・観光目的でEU内外を安全に移動する」ことが徐々にできるようになると説明されていますが、では、未接種の日本人はどうなる?


日本ではすでにいったん集団免疫が成立し、日本人は全員、感染時にIgG抗体が直ちに産生されるという、ワクチンを一度接種したのと同じ状態にあることを、まずは国内でコンセンサス化し、国際社会に訴え、PCRに代わる抗原検査キット(村上康文・東京理科大学教授が開発済)による証明を普及させていくことが日本人を救う道。その前提たる集団免疫説がメディアによって封殺されているという意味でも、日本国民は誠に不幸です。


●日本だけマスコミに対して異様に高い信頼度…マスコミを盲信する人ほど幸福度は低い

昨年3月に公表された「世界価値観調査」によれば、日本は政府に対する信頼度があまり高くないという点では他のG7諸国と変わりないものの、マスコミ(新聞・雑誌)に対する信頼度は70%近くと異様に高い(他は30%台以下)という結果になっています。


その理由について統計データ分析家の本川裕氏は、「もともと日本人は、歴史的に中国や欧米と異なり国家という存在に疎遠な民族と言えるが、明治維新とともに、外国への対抗上、思いのほか強力な国家ができてしまい、生活心情的に居心地の悪い思いをしていた。そうしたところに、国家とは距離を置いたジャーナリズムという存在が現れたので、日本人は『待ってました』とばかりに、これに妙に親近感を抱くようになった」と推察。


その上で同氏は、「媒体としての存在感のアピールや視聴率向上のためジャーナリズムが内包するセンセーショナリズムが、ここ1年間のコロナ報道に見られるように国民の不安感を必要以上に煽っている。また過度の政権批判によって世論を誤誘導している」、「さらに、マスコミのマイナス面として厳しい視線が注がれているのは、自社の方針や主張に沿わない事実の報道に消極的という点だ。」といった論点を指摘しています。


今回のコロナ騒動で特にテレビを中心とするマスコミ報道に疑問を持つ国民が増えています。いずれ、私がご紹介してきた科学的、医学的なコロナの真相が明らかになるときが来ますが、そのとき、日本人のメディアに対する信頼は大きく失墜するかもしれません。


本川氏は「『マスコミへの信頼度が高い人ほど幸福感が薄い』という意識調査結果もある(内閣府「生活の質に関する調査」)。これは社会のマイナス面の指摘に偏りがちなマスコミの報道が、自分たちの社会に対する暗い見方を必要以上に増幅するという副産物を生んだためと見られている。ということは、今後さらにマスコミ離れ現象が起きたとしても、それは必ずしも悪いこととは言えないかもしれない。」としています。


最近ではテレビのワイドショー番組に対しても、視聴者からは「つまらない」、「くだらない」「いらない」という辛辣な声が聞こえてくるそうです。連日のコロナ報道で「煽りすぎ」という意見もあり、それでワイドショーや情報番組が嫌いになったという声もあるとか。裏どりができる情報に限られ、スクープ性がなくなったことも原因だと思いますが、やはり真実を言えず、つまらなくなったということが大きいでしょう。テレビは視聴者の人気が高い有名人は決して叩かないとも聞きます。「緑の狸」さんが典型とか…。


私がかつてドイツ滞在から帰国した直後の朝、2年ぶりに日本のテレビを見て驚いたのは、どのチャンネルを回してもワイドショー番組、それも三浦ロス殺人事件のことだけ…(古い話ですが)。素人に過ぎない芸能人が平気でコメンテーターをしていることにも驚きました。専門家でないのに、よくもまぁ…。テレビを見てもつまらない原因だと思います。


●テレビ利権から改革派が撃たれた?…菅総理にコロナでの英断を望む

前回取り上げた総務省接待問題には、実はもっと深刻な問題があるそうです。かつて大蔵省では金融機関の「MOF担」が活躍しましたが、現在、その総務省版が「波取り」と呼ばれているとか…。日本の民放に総務省が割り当てている電波は限られていますが、その寡占的な利権を守ってもらうための接待攻勢が「波取り」を中心に盛んであるとのこと。


公務員倫理法も大事かもしれませんが、もっと注目すべきなのは、この利権構造を崩そうとしているのが、菅総理や改革派総務官僚たちであり、今回の事件も、彼らが利権側から血祭りにあげられたものだという見方があることです。


かつて金融業界に対して大蔵省が保護行政をしていたときには、預金者保護や日本初の金融恐慌を起こさないとの一般国民の視点に立った大義名分が、まだありました。


しかし、特定の民放系列局に電波を独占させ、結果として、どちらかといえば左翼に偏向した報道ばかりが流れてくる状態が続いていることについて、一般国民の利益の立場から擁護できる大義名分が、こと電波利権の保護については思い当たりません。


結果として、コロナの真実を知らされず、「コロナ脳」的世論のなかで社会経済活動も文化活動も止められ、女性の自殺が相次ぐ日本国民は、誠に不幸…。電波を解放すれば、50局ぐらいのテレビチャンネルが生まれると主張する方もいます。そうなれば、多様な立場のチャンネルが競い合い、保守系のチャンネルも登場できる…。


いずれにせよ、いまの状況ではマスコミを信頼する日本人の不幸は高まる一方でしょう。ここで待たれるのは、マスコミ世論(これを巧みに操っているのが「緑の狸」さん?)をものともせず、自らの信念を断固として貫き通す本物の政治家が誕生すること。「私についてきてください、結果が間違っていたら、いつでも辞めます。」これができる覚悟の政治家に菅総理になれるかどうかに、東京五輪も日本国の命運もかかっているような気がします。


最後に、新型コロナのモードチェンジプロジェクトの呼びかけ人、小川榮太郎氏の言葉をご紹介します。


「行政官は枝葉を調整するのが仕事だろうが、政治の仕事は根本を立てる事だ。根本が間違っていれば認めて正しい道を選択し直す事。それが政治でなくて何なのか。菅総理よ、五輪のタイムリミットが刻々と迫っています。英断を望みますし、それが総理には可能だと信じている。」


果たして、できますか…。

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